日本の偽書 (文春新書)

日本の偽書 (文春新書)

P13:「二度よみがえった偽書ーフリーズ人の聖書『ウラ・リンダ年代記』顛末考」種村季弘
P14:朝鮮社会科学院は1993年に建国の始祖檀君とその夫人の遺骨を発見
P17:神代文字上代八母音で否定されている。
P21:『私が掘った 東京の考古遺跡ーあなたの街から古代のメッセージが聞こえる』、(「北の文明・南の文明ー虚構の中の縄文時代集落論」『異貌』16-1998、17-1999)佐々木藤雄
P56:司馬遼太郎でさえ”雪が伝承をつくるに相違ない”と思ってしまう。
P39:山田孝雄(よしお)以外に竹内文書を非難する者は居なかった。
P44:1935年2月13日、竹内巨麿不敬罪等の容疑で検挙された翌年に「神代文化研究所」が旗揚げする。『上記』は表面上『竹内文献』とは無関係を装うための隠れ蓑として利用されたに過ぎない。
p47:「黄過論」が喧伝されたこの時期には田口卯吉、小谷部全一郎、木村鷹太郎といった珍説が登場する。『黄過物語』橋川文三
P48:大日本健康会(霊薬の効用をうたう)高畠康次郎、大日本忠愛会長 前田常蔵、皇国神代文字研究仮研究所長 前田淳
P53:『神武天皇実在論ーよみがえる日本古代の英雄』(日本浪漫派)林房雄では”太古文献”を肯定的に取り上げている。
P57:酒井勝軍:渡米しムーディ神学校で音楽を学ぶ
P59:「モーゼの十戒石、キリストの墓」は高畠康次郎と酒井勝軍との「言説のキャッチボール」で生まれた。『鼻帰書』門屋、上高森遺跡の「旧石器一括埋納遺構」
P67:キリストの墓伝説は元来地元にあった伝説ではないが、山根菊子の『光は東方より』が「竹内文献」の名が伏されて出版されたため、地元の伝説と誤解を受ける。
P68:1939年日大芸術学部教授の仲木貞一が映画「日本におけるキリストの遺跡を探る」を制作、UPIがニュース映画として公開すると米新聞社による現地調査団も来た。新郷村でキリストがミユと名乗る女性を妻に娶った話は、昭和15年当局取締りで文献を閲覧できなくなって困窮した島谷幡山らが、当時牛込水道町にいた日蓮行者小松周海に招霊を依頼して得た「キリストの妻はユミコ、娘3人」に由来する。『神国日本に再顕せるイエスキリストー戸来十和田の太古史跡』島谷
『人はなぜ歴史を偽造するのか』長山靖生
P71:村井二郎
P79:「竹内文献」は吉良義風の「上記鈔訳」を元に、竹内家が皇祖皇太神宮の神主であるというコンセプトを「宮下文献」から借用して成立したモノ。
P83:「上記」を書写した第一発見者の「幸松葉枝尺(さきまつは えさか)」が慶応元年以降のある時期に完成させた偽作者だろう。
P100:盛岡市近郊愛宕山麓の曹洞宗報恩寺の五百羅漢像には「マルコ・ポーロ像」がある。
P100:中世末期の「御曹司島渡り」に端的に示されている様に、伝承を持ち込んだのは祭文・縁起・語り物を担って全国を遊行した修験者・巫祝の徒といった外部の者である。(佐々木考二『伝承文学論と北奥羽の伝承文学』)
東北を舞台にした多くの怪しげな伝承は外からもたらされたので、地元の人間が関与した『東日流外三郡誌』や『山崎文書』は例外に属する。
P101:東北への憧憬が生み出した幻想
P104:東北のコンプレックスは戊辰戦争以後のこと
P107:郷土史家成田末五郎氏が書写した写本の奥書等から1971年以降
P112:「東日流外三郡誌」等の和田文書には1812年に発見された偽書『金光禅師行状』にある「金光の没年月日」が記載されている。
P127:『秀真伝』は北船木の地で井保家に属するの「山門領と供祭人特権」この双方維持が動機
P129:院政期、源俊頼の歌論書『俊頼髄脳』には”聖武天皇と申しける女みかど”という言説がある。
P133:936年12月8日、「日本紀講」の席で矢田部公望は前回講書での藤原春海の”「日本書紀」の原本は太安万侶撰「古事記」である”を否定する新説”史書の初めは聖徳太子勅撰『先代旧事本紀』でこれを骨子に「日本書紀」は書かれた”を披露した。
P145:「冒名冒蔭」ー大化の改新以降天皇血縁が毛並みの良さを示すものとして何より尊ばれるようになると、帰化人の中に先祖は実は神・天皇の末裔であると自称して日本的氏姓に改めることを願い出る者が続々と出現するようになった。(『氏姓』阿部武彦)
P151:矢田部公望には「日本書紀」を再構築する講書の一環に過ぎず、偽書造りの自覚すら無かったろう?
P154:江戸時代、儒家は合理主義の現実重視の立場から仏教の彼岸主義を益無き物として廃仏論を展開すると、批判の矛先は仏家が崇拝する聖徳太子に向けられた。仏教防衛の論陣を張る者が無く、危機感を抱く仏家の前に登場したのが三教の調和を説く「大成経」。(『江戸幕府の宗教統制』圭室文雄)
P157:潮音道海は池田逸士、京極内蔵之助、長野采女らの「言説のキャッチボール」の相手をさせられていた。潮音道海からの言説を吸収した池田、京極、長野らが偽書『大成経』を完成させた。
P164:磯部神人の神領回復が動機
P167:偽作者の本命は長野采女(岩田貞雄「皇大神宮別宮伊雑宮謀計事件の真相ー偽書成立の原由について」『國學院大學日本文化研究所紀要』三三 1974)
P173:”仮名の源流が神代にあり”という存在論の嚆矢は卜部兼方釈日本紀』であるが、近世以降に多くの神代文字が創出されるのは「大成経」の出現以降に顕著な事実。”記紀以前の書”が「大成経」の影響下に神代文字を取り込んだのである。
P176:近代に成立した”記紀以前の書”は『大成経』に触発された結果、今の姿(秀真伝、竹内文献、上記、東日流外三郡誌)となったが、その萌芽は地方の怪しげな伝承として既に存在していた。
P184:佐々木考二「善知鳥(うとう)伝承徴候症候群現象」:「地方伝承の素材が都で文芸化され、地方に逆輸入されて伝承として定着したと思われる」
P185:伊藤正義の<中世日本紀>とは中世における「日本書紀」の注釈
P190:「文狂い」=捏造
P191:典拠を持たない「今案(こんあん)」が生き延びる装置が「日本書紀