キリスト教の揺籃期―その誕生と成立
P5:紀元後125年頃、西方で「キリスト教」、東方では「ナザレ派」と呼ばれた。
P18:キリスト紀元直前時期のクムランやパレスチナファリサイ派においては周辺宗教との混淆が認められる。顕著な例として紀元前2世紀末以降の小アジアユダヤ人がフリギアの神サバジオスをヤーウェ・サバオト(いと高き者ヤーウェ)と同一視していた。
19:紀元前104年頃にハスモン朝がガリラヤ住民を強制的に改宗した。
34:アラム語で「私」という語を用いることは忌避されていた。
35:受難物語は典礼儀式で朗読されるためにあった。
16:イスラエル王国ユダ王国アッシリアバビロニアに一掃されると生き残りの住民の大半はメソポタミアに送られた。中東のペルシャ支配が始りパレスチナに帰還したのはユダヤ人の一部であって、それ以後もメソポタミアユダヤ人活動の中心地。
17:クムランで発見された「タルグミーム」ではヘブライ聖書の諸文書のアラム語訳が出現している。多くのシナゴーグで「ヘブライ語」が理解されていなかった。「70人訳聖書」もディアスポラユダヤの多くがギリシャ語話者であったが故。
36:(1)エフライム『調和福音書註解』、マンダ教『ギンツャ』の古いテクスト
52:「七人」は「十二人」が極初期に持っていた共同体全体に対する役割を、「ヘレニスト」に対して担う為に生まれた分裂。
57:44年以降「主の兄弟」がエルサレム教会の法王
59:エッセネ派的規律が緩んで財産共同体が消滅し、代りに施しの活動・寄付も歓迎されるようになる。初期の頃のエッセネ派敵影響はファリサイ派的な兄弟愛団結の前に後退した。
60:パウロヤコブエルサレム教会との和解に募金を持参してエルサレム
77:マルコ福音はヘレニストの支持を得るために書かれた。
81:イエスの攻撃対象は形成途上にあった「口伝の律法」:モーセの掟の深い意味を歪める人間的伝統として非難したのは律法に接木された人間的習慣。対して「書かれた律法」はこの上ない敬意をもって扱われている。
87:パウロは元ゼロテ(使徒9・26-30、23・12-22)
100:使徒の定義は第一世代よりも80-85年頃にはより厳格になる。
117:アレオパゴス演説は異教徒宣教の見本
119:コリントのシナゴーグの長クリスプス(ラテン名)
121:髪を切ったのはナジルの誓願(民数6・9-18)義務を果たしたからか?
144:パウロは人類全体の運命を問題にしていたのであって、人類を構成している各人の運命には興味はない。
158:エウセビオス『教会史3:5・3』でキリスト教徒が包囲戦の前にペラへ逃れたとあるのは「非現実」的、複雑な現実を単純化している。
161:キリスト教徒処刑は「タキトゥス年代記』XLIV,4-9」に詳しい
164:第一次ユダヤ戦役でサドカイ、ゼロテ、エッセネ派は全滅、ヤムニヤのガマリエル2世はシナゴーグで唱えられていた18の祝福の12番目に「ミニム=異端者たち」と「ナザレ派」を呪う文句をつけ加えた。
165:現在に存続するラビ的ユダヤ教は1世紀の最後の30年間にヤムニヤ勢力によって成立したもの。
166:(70年頃)ナザレ派の各グループは他の「ミニム」と同様にシナゴーグに留まっていたが、パウロ起源の共同体はユダヤ教の組織から既に独立していた。
174:『ヤコブ書』はキリスト教徒が真正のユダヤ教徒であるという主張。
178:70〜80年にかけてパウロの伝道活動によって生まれた諸教会はシナゴーグに回帰した。
179:ルカ福音ではマルコ福音において異邦人の土地が舞台となっている箇所は削除されている。イエスユダヤ性に疑義が表明された為か?
205:ヨハネは書簡の方が先に書かれている。
208:「洗礼者ヨハネの弟子」たちと「パウロ派」は共にシナゴーグから放り出された集団だが、お互いがライバル関係にあった。(使徒19・1-7、ヨハネ5・31-35)
211:ヨハネ福音記者ユダヤ教徒キリスト教徒の対立をイエスの時代まで遡及させてしまっている。
215:100年前後の頃にはキリスト教徒はシナゴーグに対する論争は止めて、自分達こそが真のユダヤ人であること示すのを諦める。
219:124か125年にハドリアヌス帝はアジアの地方総督に証拠無くキリスト教を告発することの禁止する「皇帝答書」を送る。
219:132から135年のバル・コクバの乱で「パレスチナユダヤ教」が破壊されると「バビロニアユダヤ教」がこれに取って代る。「パレスチナキリスト教」は完璧に混乱して影響力を失う。こうしてローマ帝国内のユダヤ教との関係を保っていたキリスト教徒グループの一つが消滅した。
220:「トマス福音」は神の支配定義が「非終末的」(言葉3,109,113)で、断食・祈り・施しといったユダヤ教的敬虔の実践形態を完全拒否(言葉6・14)している。
221:130年頃の「第2ペトロ書」ではユダヤ人そのものの問題は全く無い、時代遅れとなっている。
229:マルキオン『アンティテセイス』のイエスユダヤ民族の地上的解放者として告知されたメシアではなく「使徒17・23」でパウロが言及するところの「知られざる神」
230:キリスト教は100年ごろ自らのアイデンティティを発見して、生みの親(ユダヤ教)から解放されて150年には成熟した「大人」となり、自分の運命を自身で決定しなければならなくなる。
233:90-100年シナゴーグから「ミニム」追放。
初期のキリスト教徒はパルチア帝国とローマ帝国の狭間にあって多くがローマ帝国に向かい、メソポタミアに多数いたユダヤ人入植者たちが提供できる様々な可能性を無視してしまう。こうして幾らか活気に劣る東方キリスト集団と活動的だが東方には閉じた西方キリスト集団との間に溝が出来た。