日本の古都はなぜ空襲を免れたか (朝日文庫)

日本の古都はなぜ空襲を免れたか (朝日文庫)

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Renge/3393/kusyu.html
p52、59、63:「ロバーツ委員会」の仕事は枢軸国に略奪された文化財を元の所有者に返還する活動と準備(「ニューヨーク・タイムズ」1943年9月19日)なので、「ウォーナー・リスト」は戦後賠償の為の文化財資料、かつ日本軍が略奪した外国文化財の隠匿・保管先と考えた施設の目録でもあった。占領軍兵士の観光パンフレットとして重宝された。
p70:ウォーナー自身は「恩人説」を一貫して否定した。聞かれる度に不機嫌で癇癪を起したこともあると言う。
P147:浜松市は有効な爆撃目標を得られなかった爆弾の捨て場とされていたので都市規模で観ると爆撃被害は最大。
P168:回想録と日記では後者の信憑性が勝るのは歴史学のイロハで、回想手記に政治的弁明の傾向が明らかなときは尚更。
p117、181:USSBS, Statistical Reports Covering Allied and U. S. Air Forces Attack Data, 1945-1946.:所属が隠匿された「8888」部隊のB29は約300回程の出撃中「50回」は「第509混成群団」が原爆模擬弾(重さ1万ポンドの通常爆弾で通称パンプキン)を使ったリハーサルで目視爆撃31回、指定された第一目標に投弾したのは24回で両方を充たしたのは19回、天候に大きく左右された。
P181:クロード・イーザリーは野心から軍令違反の天皇殺害を企て7月20日ストレート・フラッシュ号で皇居を爆撃、これは外した。
P188:米軍は原爆投下の事前警告を禁じていたが、県庁職員が東京で耳にした「空襲の無かった都市は新型爆弾に狙われている」とする噂話を確信した新潟県知事の判断で8月10日に知事・市長・警防団長・軍当局者等による会議を招集、夜半に内務省の反対を押し切って新潟市民の疎開を決定、8月11日朝ラジオ放送等で郊外2里以上の退避を勧告、12日には9割の市民は疎開した。「新潟開港百年史」

新型爆弾の投弾予定地と気付いた冷静さもあったのに、京都(日本)は別格なのだと云う「自尊心を満足」させる手口には誰も抗えず、喜んでこれを受容した。

「B―29少数機、長崎方面に侵入しつつあり、全員退避せよ」の防衛庁防衛研修所
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2004/kikaku/kikaku4/02.html
「長崎原爆投下前に宣伝単を拾った」人々
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2004/kikaku/kikaku4/03.html
とかは”信用しない”方がよい。