江戸にフランス革命を!

江戸にフランス革命を!

110:よくある画題を北斎(略画早指南)が円弧だけで描けるようパターン化して”「この蝶」の絵は丸と三角だけで描ける”と言っても”蝶々一般が丸と三角だけで描ける”とは言っていない。江戸の人間は「どうして科学者なのに手品をしないのだ?」という発想の人間でこの手の人には哲学は生まれない。
118−121:ファッションの歴史における江戸時代は女が男になることによって始った。ー平安時代から続いた「おすべらかし」は出雲阿国が男装(カブキ者)して男髷に結い上げ、大奥女中全員が髷を結って終焉する。近世以前、髷を結うは男で髷を結わない者の中に女は居た。
古代ローマ夫婦別姓だったのは女が永遠に父親のモノだったからで、後見人の保護監視下で我儘放題の「未成年」だから男は美人奴隷を寵愛することになった。徳川時代の女も男髷であるが「前髪」を剃り落さない「少年」姿だった。
124:前髪・鬢(びん)・髱(たば)・髷:髷のみあるのが武士、髱があると「非武士」、前髪があると「非男」、全部揃うと女。しかし、髷の女は剥げる筈。
129:日本の聖と俗は毛の有無(神道は月代の有無)で宗教は儀礼の意味しか持たなかった。
148:前近代では師匠から模範を三回だけ見せられで弟子は覚えなければならなかった。
167:写楽を認めたのはドイツ人が最初でレンブラントらと一緒に持上げられた。江戸を代表したのは写楽ではなく司馬江漢円山応挙
172:明治維新は「下級武士・郷士の息子・下級貴族」によるもので「市民革命」ではない。江戸にはそもそも市民が存在しない。維新後に市民になろうとした武士も居た位。
173:都市が管理に従うのは当然、対して田舎は管理社会では無くて前例という暴君の支配する一種の無法地帯。
200:『騎士道とジェントルマンーヴィクトリア朝社会精神史』ー出世した中産階級を支える美学がないから”本物志向”で過去に向かったのは日本だけでは無い。封建時代を終えた日本がお手本にしようとした西欧では騎士道という幻想を引っ張り出して”江戸時代”をやろうとした。近代西欧をコピーした近代日本がかえって西欧古代になったのは不思議なことでは無い。
212:最初に全てが決定されてる世界の路線修正は全て復古、ダメなら更に前に帰る。
218:馬琴:戯作者=鳶屋の番頭→下駄屋=入り婿→薬屋、原稿料・印税を要求したのは「戯作者の独立性」に拘った為。
馬琴の原稿料以前の時代に有名人が得た主な収入は「揮毫料」で一発当てた後の講演で食っていく現代と同じ。
226:北斎「菊図」、名も無い大衆が入場料で支えるのがハリウッドの大衆文化、江戸の浮世絵も根は同じだったが床の間の飾りで終了。
231:江戸の町人には”税金は払う権利が無い”から一人前では無かった証拠。「納税を権利」と考えられずに搾取され続けた(と考えた)のが武士の配偶者であった農民で、被害者意識が人間をダメにする例。
246:江戸幕府は悪徳商人が支配する流通から米を守っていた。殖産興業が生み出す商品の市場を求める商戦(帝国主義)に参加すると、明治政府自身が悪徳商人と結託して私腹ならぬ公腹を肥やす。時代劇の悪徳商人と結託した悪代官の横暴という農村搾取のイメージは実は近代国家資本主義によるモノ。
248:商家は通に面する”間口”に対して課税されたので「ウナギの寝床」になる。
257:江戸時代は法人社会:
267:江戸は法人・家の主人でなければ自立者とは見なされず雇用契約によっている限り一人前とは見なされなかった。
272:封建社会の根本は”守られる”でお返しに”何かしてあげたい”が忠義で武士道が同性愛的になるのは自然なこと。
277:江戸時代は宗教が葬式と御利益を除いて無意味になった世俗時代で”精神世界”は無い。
284:「無意味な制度が個人を縛る」という近代の認識の最初に立ち返れば、「家族」は残された前近代ー近代の暗黒面
286:吉原遊女は素股=擬似性交、遊女の手練手管の「手管」太腿の後ろで男のイチモツをあしらう手の動き、吉原は「女との恋愛」を遊びとして売ったが、これは平安時代の結婚様式=招婿婚と同じ。
327:近代以前の日本の文章には句読点が原則として存在しない。
338:浮世絵は”複数芸術”であっても”複製芸術”では無い。
340:北斎・広重の風景画の空の色である”藍”の原料はベロリンという西洋渡来の化学染料で、これが風景版画を生んだ。
360:”なにもしない”というカテゴリーは無かった。”ろくでなし”か”ブラブラ病”に罹っている呼ばれた。
384:写楽以前(勝川派の全盛期)の役者絵は殆ど「記号」で顔だけ見てもで誰が誰だか判らなかった。個性表現の芽生えはあっても確立された個性表現は無い。その時期に写楽は突然完璧な個性表現をした。