イエズス会宣教師が見た日本の神々

イエズス会宣教師が見た日本の神々

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↑読書の誘引となった方々(以下同じ)
イエズス会宣教師が見た日本の神々
P83:カミからは此の世の財宝、フォトケからはあの世の財宝
P104:信長の時代まで皇帝(=天皇)の宮殿も農民の家となんら違いが無かった。帝は2、3の大名からの贈与で生活した。貧乏人は皇帝を知らなかったし、金持ちは皇帝を軽蔑していた。月が満ちると月の15日は断食するがその間食事は1日に一回
128:1620年に産屋、家族の死穢は40日の喪、産穢は15日、40日は寺社に寄らない。
129:フローレンツ”人生は神道徒として始るが、たいてい仏教徒として終わる。−略−神道の神々には幸福を祈願するが、仏陀には、人生の悲哀と死に関することを祈願する。”
P133:都をはじめこの国では言語は1つ(1547年のジョルジュ・アルヴァレス)
P238:二条御所の突貫工事:「建設資材(石)の不足を洛中洛外の石仏・石像で補った」とするフロイスの証言は疑問視されていたが、地下鉄工事の発掘現場から無数の石仏・石像が出ている。
・1600年頃は「狛犬=高麗犬」
*延滞に付要再読