ウソの歴史博物館 (文春文庫)

ウソの歴史博物館 (文春文庫)

13:コンスタンティヌス帝の寄進状:おそらく、756年にピピンが領土を教皇庁に”返却”するのであって”贈与”では無いとする証拠としてフランク宮廷側で作成した。1440年ロレンツオ・ヴァラが寄進状の時代錯誤を列挙した論文を発表。
クロウランドの歴史:1413年、お隣のスポルディング修道院から自領地の土地権利の主張をされたクロウランド大修道院は対抗上「クロウランド史」を創った。この年代記には115〜148歳とかの長寿者が大勢いた。
教皇ヨハンナ:853年に教皇に就いたジョン・アングリクス枢機卿ヨハネス8世はサンピエトロ大聖堂からラテラノ大聖堂に向かう途中で出産した話は13世紀に話題になり、教皇庁も認めていたが、16世紀の宗教改革の時にこの見解を取り下げたという真偽不明事件。
18:パトリック・ギアリー『フルタ・サクラ(神聖盗掠)ー中世の遺物窃盗』、1087年イタリアのバーリでは「聖ニコラスの遺骸窃盗団」をトルコのミュラに派遣し成功する。とにかく巡礼者の誘い込みにどの町も必死だった。
(中世旅行奇談)
22:プレスター・ジョンの手紙
フランシス・ウッド『マルコ・ポーロは本当に中国へ行ったのか』
ジョン・マデヴィル『東方旅行記』:原書は仏語
(終末)
26:1184年「トレドの書簡」:1186年9月に終末
28:『セレクタム・フィロソフォラム』
33:サーンアバスの巨人:地主のデンジル・ホールズの腹いせ(ジョセフ・ベティ)、1996年5月23日模擬裁判では先史芸術説の支持者50%、近代作品説支持は35%
エイプリル・フールhttp://www.museumofhoaxes.com/aprilframe.html
40:ジョージ・サルマナザール:1706年『ジョージ・サルマナザールの名で知られる男の回想録』
43:アイザック・ビッカースタフの「1708年の大予言」:ジョナサン・スイフトの偽名
45:ヨハン・バーソロミュー・アダム・ベリンガー
ベンジャミン・フランクリン
48:サイレンス・ドゥーグッドベンジャミン・フランクリンの悪戯第1号
49:リチャード・ソーンダーズ:『貧しきリチャードの暦』
50:ポリー・ベイカーの裁判記録(1747年):
http://www.museumofhoaxes.com/hoaxes18.html
51:メアリー・トフトとウサギの赤ちゃん:信じた弁護人は外科医ジョン・ハワードナサニエル・セント・アンドレ
56:ジェイムズ・マクファーソンの「吟遊詩人オシアン」:原本(写本)を大幅に膨らませた。
58:トマス・チャタトン(1752-1770):15世紀の聖職者トマス・ロウリーに仮託した「詩」を発表。自身の名では作家として認められず失意の自殺、死後はロマン派詩人の先駆けとも云われる。
60:ヴォルフガング・フォン・ケンペレン(1734-1804)、ヨハン・ネポヌク・メルツェル(1772-1838):『トルコ人ー有名な18世紀のチェスゲーム機の生涯とその時代』
63:カモノハシ=偏平足の鴨
68:1830年代に登場した「ペニーペーパー=大衆紙」はペテンを行使して良識・節度のあった「6セントペーパー」を廃刊に追い込み今の新聞となる。
76:プリンセス・カラブー=メアリー・ベイカ
80:1835年の月のホラ話 http://www.museumofhoaxes.com/moonhoax1.html
(バーナム)
85:ジョイス・ヘス
90:1856年10月15日<ロンドン・タイムズ> 「モンテクリスト・ピストル=シャンパン瓶」、「死人=空き瓶」
94:ローカル記者ーマーク・トゥエイン、ダン・デ・クイル、アーティマス・ウォードーの流したデマ:太陽防護服、バーラナガット・バレーの動く石
105:1869年10月16日ーカーディフの巨人:煙草商ジョージ・ハミルが創る。製作費用は2600ドル強だが37500ドルで売却できた。P・T・バーナムがこの模造品を造る。
110:クロンダイクの虫:<クロンダイク・ナゲット>誌のE・J・ホワイト
111:ティチボーンの訴訟人:他の相続人に訴えられてペテン師と裁定された男は1898年に死ぬと家族に許されて墓石には名が刻まれた。ペテン師として10年監獄にいる間にロジャー・ティチボーンと似てきたらしい?
113:奇跡の銃弾:睾丸を射抜いた精子付きの銃弾が娘の腹部に命中して妊娠、二人は結婚してから通常の手段でも2子目をもうけた。<アメリカン・メディカル・ウィークリー>1874年11月号掲載、寄稿者の医師ルグラン・ケーパーの創作、1959年までは信じられた。
115:<フィラデルフィア・パブリック・レッジャー>ジョゼフ・マルホランド、<ウォーターベリー・ルパブリカン>C・ルイス・モーティソン、<ウィンステッド・イブニング・シチズン>ルー・ストーン
猛獣脱走:<ニュヨーク・ヘラルド>1874年11月9日の第1面、記事の最後に「作り話」と書いてはあるが、謝罪記事なし。
万里の長城道路建設工事:1899年6月25日の入札記事をハリー・リー・ウイルバーが1939年<ノース・アメリカン・レビュー>で再利用して「義和団の乱」の原因と書くと事実と認定された。
119:W・ランドルフ・ハースト曰く「君は絵を提供せよ、私は戦争を提供するから」、事実には拘らない人だった。
122:インチキ写真 http://www.museumofhoaxes.com/photos.html
121:共同念写:<ポピュラー・サイエンス・マンスリー>1896年9月号、生物学者デビッド・スター・ジョーダンの「冗談」
124:北極点一番乗り:ロバート・E・ピアリーとフレデリック・A・クックの双方何れも到達していない?
126:ケペニックの大尉
127:”ブンガ、ブンガ”:1910年2月7日アビシニア王子を騙った一行が海軍のドレッドノートを訪問、王子に扮した首謀者ホレース・ド・ベェア・コールの従者役にはバージニア・ウルフもいた。
128:ピルトダウン人:アーサー・コナン・ドイルも容疑者の一人、長期に渡って進化論研究を「妨害」した功績は大きい。
130:ジョー・ノウルズ『荒野にただひとり』:1913年8月4日<ワシントン・ポスト>のヤラセ記事の後、2度もサバイバル挑戦して何れも失敗
135:1878年4月1日<ニューヨーク・グラフィック>”エジソン、土をシリアル、水をワインに”を打つ、<バッファロー・コマーシャル・アドバタイザー>が真に受けて賞賛記事を書くと、<グラフィック>の見出しには”ひっかかったぞ”
142:未来戦争復員兵協会:1936年WW1復員兵に期日より10年早く退役軍人支給金を払うことが決まると、プリンストン大の学生が兵役前に軍人支給金を受け取るフザケタ趣旨で結成した。他校にも拡大して入会者5万人。
144:魔法の亀:ハンス・ジンサー『わたしの覚えているかぎりでは』
146:浴槽の話:<ニューヨーク・イブニング・メイル>1917年12月28日、批評家H・L・メンケンがアメリカにおける架空の浴槽史を掲載、浴槽が普及したのは1850年ミラード・フィルモア大統領がホワイト・ハウスに浴槽を設置してからとする話で、読者からこのハッタリが暴かれるのを期待したが反応は逆、1926年にフェアファックス・ダウニーがこの作り話を真に受けた。種明かしの記事を何度も書いたが無駄だった。作り話に敬意を表してニューヨーク州モラヴィアでは1975年から「浴槽レース」が開催されている。
148:無影派ロシア画家パーヴェル・ジョルダノヴィチ:1924年ラテン語学者ポール・ジョーダン・スミスの騙り http://www.museumofhoaxes.com/disumbrationst.html
148:アルチェロ・ドッセナ:古代彫刻の複製師、彼の複製品を無断で古美術商が本物として販売、このドッセナの「傑作」の多くは真正品として出回っている。
155:チャールズ・ポンジー:45日で50%の高利息で顧客を募り、後から参加した投資家の金を先に投資した顧客に払っていた。犯罪歴が顧客に知れると解約者が殺到して終了、以後、この手のねずみ講式詐欺を”ポンジー型詐欺”と呼ぶ。
156:スタンリー・クリフォード・ワイマン:
ビクトール・ルスティヒ:エッフェル塔売却で10万ドル、アル・カポネから5万ドルを騙しとった。
158:ハリー・ライヘンバッハ:「9月の朝」、「T・R・ザン」
ヒュー・トロイ:公園のベンチを盗む、ゴッホの耳、蠅取り紙報告書
ジム・モラン:イヌイットに冷蔵庫を売る、小人に看板を持たせての凧上げを警察に注意されると”小人の乗った凧をセントラルパーク上空に飛ばすこともできないとは、アメリカの資本主義にとって残念な日だ”
161:外科医の写真:ウェザレルが「カバの足」の復習
166:ミルトンのロバ:有権者の候補者に対する知識に失望していたミルトン郡長ケン・シモンズ(民主党員)は1936年に「ロバのボストン・カーティス」を予備選挙に出馬登録すると、有権者の「共和党員」52名が全員一致でロバ(民主党のシンボル)を選出した。
237:1977年英国新聞<ガーディアン>サンセリフ
219:1981年5月22日ゼセフ・グレゴール博士は万能治療薬ゴキブリホルモン剤を発表、博士の名がF・カフカグレゴール・ザムザのモジリとは誰も気が付いてくれなかった。
208:アラスカ・シトカ・エッジカム山噴火:1974年ポーキー・ビッカーが火口に古タイヤを飛行機で運んで火を点けた。6年後のセントへレンズ噴火で「やりすぎだぞ!」
198:アイアンマウンテン報告:1972年作者レナード・リューインが白状してもリューインの証言を疑う人達は多い。
194:ハナアルキ:1957年ハラルト・シュテュンプケが書いた。(信じた!)
192:『アイ・リバティーン』:ジーン・シェパードが企画、1956年シオドア・スタージョン作で宣伝の後に書かれたがベストセラー、適切な宣伝さえあれば何でも売れることを証明した。
184:サブリミナル広告:1957年に市場調査員ジェイムズ・ヴィカリーが造った。ヴィカリーは1962年にデータ捏造を認めている。実験すらしていないらしい?
187:1957年4月1日英国報道番組<パノラマ>で南フランスのスパゲティ収穫風景を放映:「おまえはスパゲティが木で育つと言っても信じるほどの馬鹿だな」
254:ミニ・ヴァニリ:1989年グラミー賞新人賞
284:ピルトダウン・チキン:1999年10月15日<ナショナル・ジオグラフィック
294:盆栽猫、人肉コム:
297:ケーシー・ニコル・スウェンソン:自作自演で20001年5月15日脳動脈瘤で死去
303:デビッド・マニング:架空のお抱え映画評論家
308:ダン・バカ:2001年5月11日、自作自演の色男
317:エスポルタ・ヘルスクラブの脂肪ソックス:2000年4月ロンドン<デイリー・メール>