日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス)

日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス)

3:茨城県取手市の中妻貝塚から出土した約100体の縄文遺体:この墓抗には20〜30年間の死者を風葬にした後に一挙に埋葬した。成人男性40以上あるが、成人女性はその半分も無い。
35:正常型のALDH2は「2セット持つ、1セット、なし」の3タイプがある。この遺伝子から作るタンパク質のユニットが4つ合体して機能する。1つでも変異型があると正常に働かない。4ユニット全てが正常型で構成されるのは確率的に16分の1、ALDH2を1セット持つ人のアセトアルデヒド分解能力は2セット保持者の約6%しか無いから下戸に近い。
日本人では正常型2つが56%、1つ38%、変異型2つが4%で変異型(中国南部由来)は近畿地方に多いが、世界でも稀な下戸大国日本で重要な取り決めを酒の席で決める傾向があるのは興味深い。
39:欧州で遺伝子の勾配が生じたのは農耕の伝播に伴う集団の移動の結果。
43:L0、L1、L2、L3で4大クラスタとなるが、全人類の大半は1クラスタL3(M、N)に属する。
47:2003年に発見されたヘルト1号が最古の成人男性
47:祖先集団の大きさは生殖可能な男女の総和で数千人、家族集団では2万人程度。
48:最初の出アフリカは150人
50:L2、L3の成立は85000年前、
51:12万年前〜4万年前の間、中東の地を寒冷地適応のネアンデルタルと熱帯適応の新人が気候の変化に応じて交互に使い分けていた。
53:サフル人にはM、N両方ある。
64:近隣結合法=斎藤成也(遺伝研)、多重置換
66:氷河期の最盛期であるグラベティアン期の5000年間に北方から南下した集団が南西フランス・ペリゴール地方に集結してラスコー、アルタミラ洞窟で知られるマグダレニアン文化(18000年前〜11000年前)が続いた。氷河期が終わるとペリゴールの中心地から各地に(図ではV、H3)展開した。
68:中東から欧州移動の最初はオーシナリアン文化期のU5、欧州に農耕を持ち込んだのはJ
72:インド人はM60%、U15%で両者は67000〜51000年前と非常に古いので、欧州系のUが農耕文化を持ち込んだとは言えない。M2=ドラビダ、U7=イラン
76:ネアンデルタルのテシュク・タシュ遺跡
78:カザフスタン・ロシア・アルタイ共和国のスキタイ墓の人骨は形態学的(見た目)には欧州特徴だがM−DNAはアジア由来。ヘロドトスもスキタイは欧州の顔と伝えている。
79:楼蘭付近の小河墓遺跡で発見された4000〜3000年前の欧州系容貌の女性ミイラは検査結果待ち?
81:P、Qは同時期にスンダランドを渡ったがQは豪州では消滅した。
83:A、D、G、Y、M8a、C、Z=北方 M9、M7、B、E、R9、F=南方
86:DDBJ
100:東京都老人総合研究所は2004年10月で700名のM−DNA全塩基配列を決定して発表した。2006年国際的なDNAデータバンクの総登録数3000名
D4=32.61%、D5=4.8%、A=6.85%、G=6.86%、M7a=7.47%、M7b=4.45%、M7c=0.76%、M8a=1.22%、C=0.46%、Z=1.3%、M10=1.3%、B4=8.99%、B5=4.27%、N9a=4.57%、N9b=2.13%、F=5.34%、他=6.62%
115:2003年東京都大田区日蓮宗池上本門寺の墓地改葬で出土した木挽町狩野家9代目養信はA5
119:摂取した食物の持つエネルギーのうちATPに変換されるのは40%で残りはミトコンドリア内で熱に換えられる。ハプログループの地理的な隔たりはこの熱変換効率の結果かもしれない。
121:アイヌにはYが多い、「オホーツク文化」の担い手もY−琉球大学・石田肇
126:サアミはZ
127:中妻遺跡の100体の多くがM10
137:沖縄で農耕が本格化するのは12世紀のグスク時代から:狩猟採集民が琉球列島クラスの島で繁殖するのは困難、永住には農耕が必須ー札幌大学・高宮広土
145:隔離された離島では外部からの流入が無いと1世代で父親のM−DNAは消滅、多様性は半減、少数派ハプログループは消滅しやすい。
151:古代の人体試料にDNAの残存を最初に報告したのは中国の研究者ー1972年馬王堆
152:ノーベル賞が人格まで考慮の対象ならキャリー・マリスの受賞は危ういところだった?
157:中妻遺跡の埋葬者は母系:婚入者が男性であったことを示す?。
170:隔離が行われるとハプログループの多様性が減少するのは普遍的現象
172:M7a、N9bは日本人集団以外には殆ど見られ無い。
173:中央アジアで出土した3遺跡合計七体中(コーカソイドの容貌が確認されているのは南カザフスタン遺跡の一体のみだが)アジア系ハプログループは五体(残り二体は判別不能)ある。紀元前5世紀から紀元前後まで中央アジアのこの地はアジア母系の影響が強い。ーDループ領域のDNA配列からF、D、/G、M10、N9aと判断される。
174:酸性土壌の日本ではカルシウム主体の人骨は分解が速いが、縄文人骨は貝塚に守られて保存される。一方、弥生の人骨は砂丘など特殊な場所に埋葬されないと残らないが、稀に北部九州地区中心に甕棺の中に発見される。
185:大集団の移民によらなくても、農耕民の少数渡来者なら数百年で狩猟採集民の在来系縄文人を数の上で凌駕できる。−九州歯科大学・飯塚勝
200:武力征服によるならばY染色体のハプログループD(D=M174,D2=P37.1 と言う意味か?)が日本で減少した筈で、縄文・弥生移行期の状況は平和のうちに推移したと仮定した方が自然、Dがチベットを除きおよそ消滅したのは大陸の事情による。