原始キリスト教史の一断面―福音書文学の成立

原始キリスト教史の一断面―福音書文学の成立

9:「編集史的研究」の嚆矢はH・コンツェルマンのルカ神学の研究。四福音書の記述を合計すれば史的イエス像と考え生まれたのが「四福音書の調和」と呼ばれた作業。
11:「様式史研究」の成した基本的認識は、イエスに関する伝承はマルコとQ以前では断片かつ殆どが口伝伝承であったこと。
13:伝承自体と福音記者の編集枠は区別し、福音記者の思想を分析する方法を編集史と呼ぶ。
24:マルコに関する古代証言は2世紀前半のパピアス以上のものはない。
31:ラテン語的表現が出てくるのは当然:度量衡の単位、器物の名称、行政・軍隊用語等の支配者言語が被支配者言語に外来語としてまず第一に入り込む。これを以ってマルコがローマで書かれたと考えるのは、カタカナ語が混ざった日本人の文章を欧米の地で書いたと云う様なもの。
41:ルカは一貫してマルコのガリラヤ動機を削除する方向、ルカにとってはエルサレムが教会発祥の地で全ての中心だった。マタイはガリラヤ動機を重用視しないまでも、マルコの書く通り保存している。
43:伝承の段階では「ガリラヤとエルサレムの対立」は問題になっていない。
54:600年の隔離後でも信仰儀礼を保っていたか?:異常なまでに故国の伝統・民族意識を守り続けようとするのがディアスポラユダヤ人の特徴だが、ガリラヤ人はゲリジム山を聖地としたサマリヤ人の様に微妙である。(アルザス地方の例)
55:イエスの精神の底にあるガリラヤ土着民の要素が評価される必要がある。
ヘロデ王の孫アグリッパ1世がパレスチナ全土を統治した41-44年、彼の鋳造したエルサレムのコインには文字だけが刻まれたが、ガリラヤの都ティベリアスではローマ皇帝の肖像を刻んだコインが発行されている。
56:ガリラヤはエルサレム中央政府に直結させられた時代(ハスモン後期〜ヘロデ王家)にしばしば反乱が起こっている。
71:1−13章の全体539節の中で奇跡物語は196節で36.4%である。
73:マルコの地理的表象:地名表記には以下の3つの動機がある。
・町村名に関する限り(エルサレムを除く)マルコは伝えられた素材をそのまま採用している。ー奇跡物語は地方巷間に伝えられた民間説話的な言い伝え。
ガリラヤ、ユダヤペレア、イドマヤ、デカポリス等の広い地方名は編集上の挿入。
・受難の死を予告する8・31以来、受難を語る度にイエスエルサレムへと近づいて行く。
76:無意味と思われる程に町村名をあげているが、その名を採用することに意味があった。ーカペナウム、ナザレ、ベツサイダ、ゲネザレ、ツロ・シドン、ピリポ・カイサリア
85:マルコにとってのガリラヤはガリラヤ湖周辺
101:マルコにとって移動経路は眼中に無い。
118:民衆(ユダヤ人一般)はイエスを退けたから福音は異邦人に向かう、という伏線は正しいのか?
118:ラオス「国民」とオクロス「群衆」:マルコにはオクロスは出てくるがラオスを殆ど用いない、「イスラエルユダヤ人」も全く用いないし、イスラエル民族を統一体として表す語は出てこない。
122:3・20-21、31-35、1つの物語を2つに割ってその間に他の物語を挿入する仕方、いわば物語をサンドイッチに挟む仕方は、マルコ独自の手法、2つの物語を相互に関連して解釈すべきものとして提出する。
エルサレム教会でイエスの兄弟ヤコブ(肉の家族)が指導的権威を握った時代に書かれたマルコ福音の意図するところはーイエスの真の家族(理解者)とは敵意さえ抱く血縁者の系統(当時の教会指導者)では無くイエスの話を夢中に聞き入る民衆。肉の家族、律法学者、民衆とを対比させている。12弟子を選んだばかりだが、とくに12人と民衆は区別されない。
128:イエスの真の家族(理解者)はマルコでは「無知蒙昧な民衆」、ルカではむしろ一般民衆は「嫌悪」の対象、マタイは「微妙」
129:ルカは「弟子場面、群集場面、論敵場面」を分類した。
130:ベルゼブル論争の論敵はマルコ=律法学者、マタイ=パリサイ派、ルカ=群集の中のある者、エルサレム入城の際、マルコ・マタイ共に群集はイエスを歓迎するが、ルカでは友好的な態度はとらない。
133:マルコで民衆が非難されるのは「受難物語」の他には「譬話論4・10-12」があるが、しかし、この議論は弟子達の批判に用いられている。
134:エルサレム入場の民衆が「カペナウム」の民衆と同じ訳が無いだろうが、エルサレムの民衆でさえ喜んでイエスに付き従い耳を傾ける。群集の態度・描写が変わるのは「14章以下の受難物語」からである。そもそも敵対者は「民衆」を恐れて彼を逮捕できない。
143:使徒行伝の2つの転換点は10章コルネリオと15章異邦人伝道が承認されたとき
146:「イスラエル」はマタイ、ルカ共に12回、マルコは「シェマ、皮肉」で2回
149:ガラテヤ書2・15「我々はユダヤ人であって、罪人なる異邦人の出ではない」パウロには「民族的優越感情」を否定する努力はせずに「神学的理論」の段階で乗り切ろうとした。
151:5000人供食のパン籠の数12を「12使徒」、4000人の供食のパン籠7を「7人の執事」で、それぞれをユダヤ人伝道、異邦人伝道を象徴とする意見もあるが「縁起のいい数」だから使われているだけでって、「ヨハネ黙示録」を1度でも読めば理解できる。
159:シロ・フェニキアの女は「宣教者に必要な休息を主張しつつ、それを奪うほどな熱心さ」を高く評価している。
172:様式史研究によって、実際に事件の起こった順番は知ることはできない。
177:マタイ・ヨハネ両福音でペテロ告白がイエス活動の段階を大きく分ける出来事と見なされてはいても、マルコでも同様に考えてはいけない。
185:8・27-30の30節はマルコの編集句
187:ルカ9・21・「自分について」を→「このことを」に
191:「キリスト、人の子」は重要ではないが「神の子」は7回でマルコの中核
200:弟子達の無理解の動機がマルコに顕著な動機(W・ブレーデ)
弟子達の無理解は史的事実と解釈できない。これはマルコ福音書を貫く基本的な問題点。
207:黙示文学的終末論図式に従って考える弟子達はエリヤ再臨が伴わない復活を理解しない。ーマルコは黙示文学図式による復活信仰を位置づける試みを批判している。
208:3つの受難予告の最も重要な弟子達(ペテロ、ヨハネヤコブヨハネ)はイエスの受難を理解していないのを示そうとしている。
209:マルコは解放性をもって弟子達の集団を非難するのは閉鎖主義的教会を批判している。
213:救いの条件となるような絶対的な価値は人間の行為としてはありえない。
ー初期キリスト教団の持っていたこの一面に触れてパウロは改心した。
216:「70人訳」から引用しているのは、自信の無い言葉で本を書くときの引用文はその言語で既に発行されている翻訳に頼ろうとするもので、マルコがギリシャ人だった証拠にはならない。
219:4・10-13・「外の者達」に向けられた批判の矛先を換えて「弟子達」に向ける。
258:マルコではイエスは「先生」と呼ばれている。
262:「教え」と「奇跡」に同じ価値を置いている。
263:「デュミナスは病気を癒す時に医療行為者から患者へと移される「力」で、当時は月並みなこと。
269:いちじくの譬・終わりのときに黙示文学的な「徴」は無い。
(補論)
340:トロクメ説:ルカはマルコを基本的資料として忠実に用いているが、こと受難物語については何故か他の資料を基本としている(同じ叙述箇所のマルコとの単語一致率が27%)ルカの見ていたマルコには「1-13章」までしか無かったのだ。
1)マルコの書き出しは特有で「1-13章」(10章は例外)は殆ど「そして」で始るが「しかし」は僅かにしかない。13章まで「そして×473」に対して「しかし×71」で6.66倍である。14章からは「そして×109」、「しかし×42」で一般のギリシャ語文章並になる。この文体変化は同一著者の同一著作においては理解しがたい。
2)民衆の性格が決定的に異なる。13章までは民衆はイエスの友として描かれるが、14章以降のイエスは孤独で民衆は敵の側につく。
3)旧約の予言がイエスの十字架において成就したとする預言証明の動機が受難物語での大きい役割だが、13章まではこの預言証明の図式には当てはまらない。
以上ーこの仮説の重要なところは「1-13章」と「14-16章」の思想的な違い。

346:ルカ21・1以下の導入句はマルコ14・1以下を書き直したものとしか考えられない。14-16章の編集句はルカの受難物語に採用されている。14・28と16・7の有名なガリラヤ強調は1-13章との思想傾向と一致している。
(↑この時期の田川氏はトロクメ説には否定的)
351:マルコにとって重要なのは受難の現在的意義を問うことで、この点はパウロと共通するがパウロの様に十字架の救済論的意義が重要だったのではない。
エスの受難を万人の贖罪として把握することに現在的意義があったのではなく、イエスと同様に受難を恐れずに福音の宣教をなすべきという意味で、キリスト教徒のあるべき姿と捉えたのである。
352:マルコ著述の意図は十字架の救済論のみを中心としたイエス観に対して、敢えて新しく福音書なる形式をとって自分のイエス観を公にすること。