すばらしき愚民社会

すばらしき愚民社会

P50:『アーロン収容所ー西欧ヒューマニズムの限界』が「衝撃」だったのは1960年代の日本人が西欧が公平平等社会であるとの幻想を抱いていた為。
夏目漱石が留学先で下宿のオバサンが自分より英文学知識が無いことに驚いたり、日露戦争のころ日本では貴族でなくても試験に通れば士官になれると聞いて信じられなかったロシア人兵士の話がある。
P51:地主としての貴族社会は中世荘園制まで、鎌倉期の守護・地頭は武士が徴税権を持っただけで、土地を自ら経営したことではない。戦国期に荘園制が解体して土地は農民の所有となった。江戸期幕府に転封を命じられた大名が家臣共々新領地に引っ越したのも土地所有は無かったからである。大名・武士が「地主」だったら版籍奉還廃藩置県は容易では無かった筈。(←司馬遼太郎氏の著述から)
・『刑事コロンボ』は比較的下層に位置するイタリア系の刑事がWASPの成功者を追い詰めるところが受けた。『ハリー・ポッター』もロウワー・ミドル・クラスを描いているのは新井潤美『階級にとりつかれた人々』を読むと解る。
P69:司馬遼太郎は自作自註の形で、史学の成果を咀嚼し、平易な言葉で読者の蒙が開かれるように語ってくれたのである。
P71:折口信夫を「しのぶ」と読むとは思わなかった!
P72:無時限的に日本人なるもの
P77:『君主論、春秋、史記愚管抄神皇正統記、読史余論、大日本史日本外史
P78:歴史そのものを参照することすら無用とするポストモダニズムの「やけくそ」哲学
P79:中村真一郎より若い世代で日本近世文化を把握していたのは三島由紀夫村松剛、少し下って橋本治
P80:吉本隆明が『共同幻想論』で『古事記』(古代)と『遠野物語』(近代)という(近世抜きの)日本のテキストに西欧の非歴史的な理論を適用するという現代に至る評論の骨格を定めてしまった。
P82:ラカンドゥルーズのインチキ現代思想
P88:カール・ポパー反証可能性」の根幹:何でも説明できることが、似非科学たる所以であって、真の科学は、その理論によれば起こりえないことを持つもので、それが起これば理論は崩れる。とポパーは言った。
P89:ロルフ・デーゲン『フロイト先生のウソ』、矢幡洋『危ない精神分析
P92:PTSDとは異常な体験から立ち直ってゆくという人間の健全なプロセスを病気扱いにする巧妙な概念(矢幡洋『思想』2003年12月号)
P98:宮台真司の「説明」にはポパーのいう「反証可能性」が全く欠けていて、彼の「研究」もまた「歴史性」を欠いている。
P101:ノーム・チョムスキーは政治活動と専門の言語学を混同したりしない。
P102:カール・ポパーマルクスフロイトアラン・ソーカルラカンクリステヴァを否定するのを非生産的というのは大きな間違いだ。ある仮説に根拠不十分の判断を下すとき、代替案を出さねばならぬ義務は無い。「分らない」でいいのである。
P107:斎藤美奈子『妊娠小説
P116:「奇跡の詩人」日本流奈、田口ランディ は「ト」
P119:「2CH」は戦う気の無い近世町人が狂歌・川柳で政治「風刺」したつもりになったのと同じ現象で、「2CH」が「退治」できるのも「日本流奈、田口ランディ」程度
P125:斎藤美奈子『趣味は読書』
P134:佐藤愛子の爪の垢でも煎じて飲め
P181:井上章一法隆寺への精神史』、『南蛮幻想』:→『百合若大臣』、安土城天守法隆寺
P183:国文学者が用いるのは塙書房の『万葉集
P188:学者が『水底の歌、遊女の文化史、人麻呂の暗号』を無批判に放置するのも致し方ない?
P192:上野千鶴子「勘違いしなで下さいよ、あなたたちが思いつくようなことはもう誰かが考えているに決まっているんです」
P220:「国民」を虚構とするのに「内政不干渉原則」には固着する「カルスタ派」左翼学者
P222:吉田守男『京都に原爆を投下せよーウォーナー伝説の真実』:「ウォーナー伝説」が今も支持されるのは、西洋人に日本文化の価値を認めてもらうと嬉しがる性癖があるということで、これをデマとは思いたくないのだ。(←知識人なら煽てられて喜んだりはしないということか?)
P224:山際基男『不可触民』