死者たちの中世

死者たちの中世

P4:『穢と大祓』山本浩司:制度上の穢とは神域に穢れが及ばぬようにするのが主旨
P5:『今昔物語集』巻三十一第二十九話で蔵人の藤原貞高が殿上で倒れたとき同席者が慌てて席を立つのは感覚的な恐怖心からではなく、貞高が「死ぬ前」に席を立てば穢れに感染しないという判断による。
「30日の穢」、「7日の穢」
P10:五体不具穢の経年推移は1100年〜23件、1140年〜27、1180年〜54、1220年〜7、1260年8
P31:近世の儒者は「父母の死体を焼くのは不孝である」と火葬の批判があったが、両墓の埋墓は一定期間が過ぎると祭祀の対象としなくなる。
7歳以前、喪礼なく仏事なし:7歳以下に厳重な葬礼を行わないのは魂の復活を願い成仏を望まぬ為
P33:「仮服」=近親者の死にさいして官人に与える休暇で、服は喪服の着用の意、父母の喪を重服といいその期間は1年。
仮服と触穢の違いは仮服は近親関係で生じるので遠方に居て死体との接触がない近親者なら罹る。触穢は死体との接触を指す。
P40:鴨川が氾濫すると河原の死骸は海に流された。
P43:弘仁4年(813)6月1日病に罹った下僕奴隷を路辺に捨て看病せずに餓死させることを禁止したが、守られた形跡は無い。(『類聚三代格』巻十九、禁制)
死穢を嫌い病気になった家人下僕奴隷を捨てることを9世紀に非難する官人も居たのに院政期には悪化してしまう。
P50:地上への放置を「葬埋」ではないと屁理屈解釈を庶民はしないだろう。
P60:放免が生侍(なまざむらい)を捕まえて死体の処分を命ずる。『今昔物語集16:29』
P72:イザナミイザナギの「一つ火」
夏は水気の無い良い「酢」を茶碗(桶)に入れて死者の鼻の近くに置いて死臭を消す。『吉事次第』、『長秋記
・「死の恥」:自分の死体を他人に見られる恥
P75:「供膳」は格別急いでいなかったが、山作所(火葬場)(一条上皇)→入棺前後(堀河天皇白河法皇)→北枕の後(『葬法密』)と次第に膳を供える時間が早くなる。
P82:『融通念仏縁起』下巻の棺サイズは短い
P84:阿末加津(あまがつ):鳥羽上皇と源能俊、師時は殉死の代りと捉えている。
P86:冥途の順は逆(葬密法)は他界が鏡像反転していると考えてのことか?
P92:檜垣を崩して隣家の棺を出棺させた敦行に対して妻子の言説は穢が伝播を恐れるよりも強い他の恐怖がある。『今昔物語集20:44』
P109:「75束の藁を担いだ」=火葬にされること
P119:『雑談集』巻9「誑惑(きょうわく)の事」:身灯(焼身自殺)を装い銭米の施しを受ける詐欺法師
P121:嵯峨上皇は遺詔で「葬式の期限は死後三日を過ぎてはならない。卜を信じるな。俗事にこだわるな」『続日本後記』承和9年(842)7月15日条
とある「俗事」とは「もがりの宮で行われた儀式、飯含=死者の口に玉を含ませる古代中国の儀礼、呪願=仏神の加護を祈る、魂の帰る日を忌む」ことを指している。
P123:貴族は葬送について詳細に日記につけているが、個々の儀礼について、死霊や魔がどうかとは一言半句も書いていない。その手の庶民儀礼を系統的に排除しているように感じる。
P127:皇室・貴族は葬儀を「雑人=野次馬・見物人」に見られるのは恥と考えて密かに夜、葬列をだしたが、徹夜組が現れると警備強化これを排除した。
P128:葬儀を豪華にしたのは「禅宗
P220:坂非人と河原者:「キヨメ」をめぐって対立した別組織、坂非人は「輿」での死体輸送、輿の貸与業の独占権を持つようになっていた。