江戸幻想批判―「江戸の性愛」礼讃論を撃つ

江戸幻想批判―「江戸の性愛」礼讃論を撃つ

八犬伝綺想―英米文学と『南総里見八犬伝』を読んで貰いたいが為に書いている読むことに決めた。「大障l義英」が出てくるのが解らない。
p7:江戸幻想(=前近代幻想)は1987年頃、『江戸の想像力』田中優子、『遊女の文化史』佐伯順子から
p9:野田秀樹唐十郎の焼き直し
・『江戸にフランス革命を!』橋本治
p11:『遊女の文化史』は柳田國男が中世以前の「遊女」について語ったことを近世の「女郎」にまで敷衍した。
p13:「江戸幻想派」の云う「性の自由」とはセクハラ・強姦の自由、人身売買、堕胎、里子制度など人権不在に支えられたもの
・『三くだり半』
・『遊女・からゆき・慰安婦の系譜』金一勉
p32:「戦争の悲惨」を好んで語る左翼知識人が「平和のなかの悲惨」をみようとしない。
・『明治吉原細見記』
p50:『春色梅児誉美
p48:カフェの女給は準売春婦
p55:17世紀の色道論には女郎を(哀れに)思うなら身請けしてやれとあるのに18世紀以降はそういう発想はなくなる。『<男の恋>の文学史
p57:春画はオナニーの道具:『春画タイモン・スクリーチ
p65:人身売買・性奴隷批判はマリア・テレーズ号以前にある:説教節『さんせう太夫』、謡曲『自然居士』、柳沢淇園『ひとりね』、武陽隠士『世事見聞録』
p74:江戸の戯作には風刺の名に値するものはない:中村幸彦『戯作論』
p77:「洒落本・黄表紙滑稽本」は平安期文学にも劣る、まして西洋近代文学と比べる価値はない。
p78:吉原女郎の平均寿命は23歳
p79:廓ばなし:『五人まわし』、『文違い』
p80:近松シェイクスピアのような世界把握の仕方が図抜けた普遍性は感じられない。
p81:近松再演:扇雀時代の「中村鴈治郎の肉体」が近松に力を与えた。『曾根崎心中』を二百数十年埋もれさせた観客の良識の方が信頼できる。
p82:落語『品川心中』には近松の描いた嘘臭い女郎は出てこない。
p88:旗本奴と町奴は対等に喧嘩をしていた?「幡随院長兵語衛と水野十郎左衛門」、「水戸黄門」に出てくる農民はとても元禄時代のものとは思えない、天保時代のそれである。(関川夏央
姫野カオルコガラスの仮面の告白』
p99:歌舞伎の戯曲には「永遠の人生がない、人間がない、性格がない、本当の意味の悲劇も喜劇もない」:林達夫ー1919年『歌舞伎劇に関するある考察』(林達夫著作集)
p117:鴈治郎を通して近松を観ている:扇雀時代の中村鴈治郎の演ずる女形という空前の肉体の出現によって、下級女郎を幻想し、女房もちなのに女郎に入揚げる男の非道をひとまず忘れることが出来た。
p130:残虐なプロットを見て喜ぶ嗜虐者(観客):千谷道雄『秀十郎夜話』
p135:江戸後期「享保分水嶺」(阿部次郎)以後、男色はの衰退し、明治期に入って「若二世」の制度を薩摩人が東京に持ち込み「再度」流行した。:氏家幹人『武士道とエロス』
p136:男が喜んで素人芝居に参加していた:『蛙茶番』
p162:明治期から戦後にかけて凋落した:「曲亭馬琴」、「近松以後の浄瑠璃作者=竹田出雲の集団、並木宗輔、近松半二」、「河竹黙阿弥」は大損。
近代によって「得」をしたのは「近松門左衛門井原西鶴」、『葉隠歎異抄』も近代に発見された。
源氏物語』は大いに得をした組で近世まで「晦婬導欲」と云われた。(内村鑑三『後世への最大遺物』)
p164:馬琴の主人公は性的に「潔癖」、悪役は性的に「放縦」で描かれる。
p171:男と結ばれることを最大の幸福と考えないヒロイン:男の愛を拒絶して少女のまま世を去るヒロイン「常処女」本田和子『少女浮遊』
p201:『人麻呂の暗号』は「ト」:『トンデモ本の世界
p204:「読本」と「合巻」の区別もつかず
p205:服藤早苗『平安期の女と男』、『夏目漱石を江戸から読む』