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- 作者: 五来重
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/03/09
- メディア: 文庫
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P20:石棒のもとは木製の男根形の棒(こけしの原型)を立てて祖先を祀ったのが石製化した。明治維新の「淫祠邪教の禁」で撤去されなければ、いたるところにあった筈。
p24:遠い開発途上国や少数民族のいる地にワザワザ行かなくても日本国内の身近に自然宗教の残滓は転がっている。
修験道は真言宗の醍醐三法院(当山派)か天台宗の京都聖護院(本山派)いずれか一応仏教の一派の様な顔をして文化宗教の呈を成しているが、実質は原始性を最も色濃く残した自然宗教で山野を跋渉しながら、石木を拝むのである。
・石鎚山:一大巌峰が崇拝対象で「石の霊=いしつち」を拝む、頂上には石槌神(石の霊神)がいると「日本霊異記」にある。後に大峰山蔵王権現に置き換えられて明治維新まで頂上・中腹・山麓に三体蔵王権現が祀られていた。今は撤去されて三体の「石土毘古神(いしづちひこ)」になったが自然石崇拝であることは変わりは無い。
・日本人の自然宗教は2つに分かれて文化宗教へと発展したのが神道と修験道である。この2つが理論化・観念化されて自然石崇拝を忘れたり軽んじたりすると、庶民信仰・民間信仰といわれる呪術宗教が、継承することになる。
・「万治の石仏」の仏頭は素人が彫りバランスを欠いてあの様な形になったのであって、けしてイースター島のモアイが飛んで来た訳では無い。