p7:騙し絵の2つの図像は同時に見ることは出来ないように「参与と観察」も同時には出来ない。
p23:アボリジニの大量虐殺も「左翼系歴史学者のでっちあげ」と言う様な歴史修正主義者は何処にもいる。
p71:彼らグリンジ(アボリジニ)は食事・料理・テレビ鑑賞・子供の世話の日常生活は全て「屋外」でなされる。白人政府の与える「家は物置」にしか認識されない。グリンジの云う「家とはカントリー」のことである。
p83:正しい時・持続する時間・同時性:「時間の無駄」という発想は無い。ただし、「今」と言ったときに「遅延」は無い。
p122:本とペンは「大地の法」に因らない。
p138:カリヤ(白人)の法は毎年変わる。大地の法の様に安定しない。
p140:イングランドはグリンジの「倫理地理学」上、その存在が許されない。
p141:「わからない」は大地の法から無縁の不道徳性を強調する言語使用。
p209:修正主義が認められないのは、言説よりも史実を優先するからである。
p253:ネッド・ケリーは湯沸しとダンバー(イーストを入れずに熱灰で焼いたパン)を買って、ウルル西側ビクトリア・リバー流域に、ほかの白人がやってくる前に現れた。彼はダンバーの作り方と、紅茶の入れ方をグリンジの人々に教えた。そして、それはほんの小さなひとかけらのダンバーと、たったひとつのゆわかしだったのに、すべてのグリンジがそれを食し、満たされた。
「大イングランド」からやってきたキャプテン・クックは、ボートでシドニーにやってきた。そして内陸を旅して、アボリジニを撃ち殺した。
グリンジの牧場労働者は途方にくれていた。J・F・ケネディが彼らのもとを訪ねたので、グリンジの人々は、イングランドから来た白人が、自分たちをどの様に扱っているか説明した。すとケネディ大戦争を起すと約束した。そこでグリンジの人々は、1966年にウエーブヒル牧場を退去し、土地権運動を始めたのである。