戦場の精神史  ~武士道という幻影 (NHK出版)

戦場の精神史 ~武士道という幻影 (NHK出版)

戦場の精神史
保元の乱(1156)で源義朝は「日頃の私戦では朝威を恐れて思う存分戦えないが、公戦なら思い切り戦える(保元物語愚管抄)」と征夷なら同じ武士間でもルール無用と思わせる記述がある。
・武士道というとき「日本固有の武士の思想、儒教の日本的変容、自立した個人を基礎とした主従関係、主君と惚れ合う男と男の関係、支配階級のとしての責任感、虚飾を拝する潔い姿勢、敵に対して正々堂々と戦いを挑む倫理観、鎧の色目などにも気を配る美意識」等が単独または複合して論じられることが多い、要するに「使用する者の武士観」によって大きく異なる。
・「楯突く戦」=遠距離・非白兵戦?
・「平家物語」諸本壇ノ浦で知盛が「めずらしき東男をこそ御覧ぜられ候はめ」の「御覧ぜられ」は「男女の性交」のこと
・「陸奥話記」では「国解の分を抄し、衆口の話を拾って記した」多角的な視点で描いたこともあるが、阿部氏を「夷」としていない。
・「平家物語」は「延慶本」と琵琶法師の「語り本」では異なる。
・「平家物語越中前司最期」、「太平記:阿保・秋山河原軍の事」
越前:昔は「一門」だったが今は「侍」さ!
・「太平記秘伝理尽鈔」は智謀謀略を旨とした軍学書で「葉隠」の作者が「上方の兵学」と表現し忌み嫌った。
・「葉隠」は戦国以前の武士から見れば完全な「倒錯」で、江戸期初期でも当時の主流思想とは言い難い「異端の書」である。佐賀県外に知られたのは1906年に中村郁一が自費出版したのが初、前年発行の「武士道叢書」には無い。
・幕末の尊皇攘夷ナショナリズムが武士道を呼び起こしたが、このときに「徳」が付帯されて再構築される。
新渡戸稲造は著書「武士道:第1章」で文武の徳の基本である「フェア・プレイ」の古今東西唯一の例としてトム・ブラウン(トマス・ヒューズの小説の主人公)しか見つけられなかった。また、外国人の引用が140名以上あるのに比べ日本人は20名と少ないのは、稲造が外国療養中に執筆したので日本の書籍が身近に不足していたこともあるが、彼が日本の古典に疎いことを物語っている。
人類史上、戦争に名誉ある人間や高潔な戦士が加わったことなど無いのは解っていても、信じたいこともあるのだ。