日本古代の氏族と天皇 / 直木孝次郎著

神功皇后=持統、推古、斉明
応神天皇草壁皇子
武内宿禰蘇我馬子
奈良時代以前の氏神は氏が信仰する神もしくは氏を保護する神で、氏の祖先ではない。(津田左右吉
氏神とは霊威神、守護神であり本来祖先神の性格はなかったが、後に氏神を祖神とするか、或いは祖神を氏神として両者一致するに至った場合が多い。
柳田國男平安時代以降に見られる慣習から祖先神信仰を民族固有と考えたが、現在も見られるこの民習は「家」としての祖先の祀りである。「氏神=皇祖神」になるのは年代的には「大化改新」以降であるが、それでも、平安時代の「新撰姓氏録」において祖先神の多くは「ヒの神」または「ムスビの神」であり一致を見ない。この時期でさえ確立していたとは云い難い。
伊勢には「郷土の神」があり、この地を大和は「日の神」の霊地として捉えていた。大王家の氏神である「天照大神」も同じ日の神であったので大和勢力の東方発展に伴い、両者が「習合」して伊勢神宮天照大神が鎮座する様に至ったのである。(丸山二郎)
↑近年になって直木孝次郎は自著「日本古代の氏族と国家」の中で、大王家の氏神を大和地方(日向でもよい)から離れた伊勢に祀る矛盾について「大王家の氏神天照大神)+伊勢の地方神」の習合ではなく、天照大神が伊勢に「左遷」されたか又は「避難」していた存在だったことを指摘している。壬申の乱伊勢神宮の方からの神風(神宮の援助)で天武軍が勝利した時に「復権」したらしいのだ。