アマテラスの変貌―中世神仏交渉史の視座

アマテラスの変貌―中世神仏交渉史の視座

神国日本 (ちくま新書)と内容は略重なり値段も高いが、購入するならコチラの方が良い。
p187:太古の昔、神は遊幸する存在で、(稀に)山川の景観のある地に棲んで祭りを受ける神もあったが、自由に移動し、季節や祭りの祈りにだけ祭場に来臨するものであった。しかし、古代の国家の整備に伴い、社殿・王宮内に常駐して王権を護るものとする観念が形成された。中世にはいると仏の世界とこの世の間を自在に往返し、衆生救済に邁進する存在になった。「善神捨国」の説は経典に端を発してはいるが、こうした時代・世界観の背景があってこそ産まれた理念である。
・「立正安国論」での悪法とは法然の専修念仏のことで、「立正」とは「神祇」を蔑ろにする念仏を禁止すること。
・本懐(成仏)以外の私的な祈願は日域の地縁ある仏神が引き受ける。↓
p52:中国は清涼山の衆僧は斉食のとき鉢を飛ばして(「飛鉢の法」=空中浮遊の術?)供養を受け取っていた、大江定基(寂照)には初めて見ることで仕方が解らず、自分の番が回ってきたとき「本朝の神明・仏法」の加護を祈ったら祈りが通じて鉢は勝手に飛び上がり他僧のより早く供物を乗せて帰ってきた。「続本朝往生伝」、「今昔物語」
遣唐使吉備真備は唐側から度々無理難題をかけられ虐められていたが、先輩遣唐使阿倍仲麻呂が姿を変えた「鬼」の密かな援助によって救われていた。吉備真備が霊鬼の力を借りていることに気づいた唐の役人は、結界を張って鬼の威力を封じて、宝志という僧に作らせた暗号のごとき難解な文を皇帝の面前で解読するようにさせた。困窮した吉備真備は「本朝の仏神」に祈ると一匹の蜘蛛が文字の上に落ちて糸を引き、糸を追跡することで解読に成功した。「江談抄」
十万億土という概念は幾らなんでも中世日本人には信じられなかったので、地獄・極楽が共に山中にあるとする「山中他界」が産まれたが、地獄がこの世の山中にあっても、基本的に極楽はあの世(浄土)である。
・「御成敗式目」の末尾起請文に「天照大神」が無いのは「虚言を仰らる 神」だから(「倭朝論抄」等の「式目註解本」から新田一郎の考察)の「虚言」とは第六天魔王から仏法を広めないと嘘をついて国譲りを受けたことを指す。16世紀関東では天照大神の名は起請文に引用されない。

天照大神が「大日如来の神力」をもって王法と国土を守らんが為に、伊勢に迹を垂れた『野守鏡』
・念仏者たちは神明と決別して顧ることがない。権社・実社を区別することなく、由緒ある宋廟大社にも遠慮することなく、神明を頼むものは必ず魔界に堕ちると公言してはばからない。実類の鬼神はさておき、垂迹した権化は大聖である。上代の高僧もみな帰敬してきたものである。そうした神々を、おまえたちは何故捨て去ろうとするのか。『元久2年(1205)興福寺奏状ー第5番:霊神に背く失』
・我が朝は神国である。神道を敬うことが国の勤めとなっている。あらゆる神もその本源を尋ねれば「仏」の垂迹であり、仏がこの世界の人々を救うために具体的な姿を示したものにほかならない。だからこそ、世を挙げて「信」をおこすのである。ところがいま「専修念仏」の連中だけは、念仏にことよせて神を敬おうとしない。これは神国としての礼を失する行為であり、神の咎めを受けて当然である。『ー一向専修の党類が神明に背くことは不当であるー貞応3年(1224年)比叡山延暦寺が朝廷に専修念仏禁止を求めた奏文』
・この日本国に外道は1人もいない。『神国王御書』
・わずかの天照大神・正八幡などというものは、この国でこそ重んじられているが、梵天釈尊・日天・月天・四天に対すれば小神である。『種々御振舞御書』
p24:敏達14年(585)2月蘇我馬子が病に臥せり、卜部に占わせたところ父のときに祭った「仏神が祟っている」という詔をえて、仏の石像を礼拝した。
・祟り→(祟り)神の同定→祟りの除去 の一連の流れ
・神が祟る→特定(能力)者がそれを祀り、鎮める→その子孫が代々神を祀ることになる。『風土記』に顕著
・「御体御卜(おほみまのみうら)」:6,12月に天皇の体へ祟り神の有無を占い判定する行事(定期診断)で既知の神に祟りを同定する手引書のこと。古代では病気・災害など人知を超えたものは神の仕業(祟り)だったので国家機構を動員して迅速に対応する対「祟りマニュアル」の整備に余念が無かった。→軒廊御占
律令国家では国家・社会の秩序に関する私的な託宣を厳禁した。『賊盗律』第七は鬼神にことよせて「妖言・妖書」を造りみだりに吉凶を説くことを禁じて、神々との交渉権を独占した。
p28:邪気・霊気・もののけ:平安期になると神の厭う機能である「祟り」を専門の属性とする「邪霊」が誕生。邪気なら加持は必要だが、疫気なら加持は不要。
p42:速水侑は律令時代に禁止された個人の壇法・修法が摂関期から盛んになるのを指摘して修法が国家管理の枠から外れて個々の人がそれらに対応する様になった(迫られた)と見る。
p49:権社と実社:12,3世紀頃から神は「権社」=仏の垂迹で賞罰権限を持つ属性と「実社」=悪霊・死霊の神、悪鬼神で祟り属性の2種に分かれた。「御霊・天神」は元来死霊の類であり実社の筈だが「著名人の霊」は権社として捉えられた。
p62:起請文の仏達:東大寺の大仏とあるときは抽象世界の「蓮華蔵世界の教主慮遮那仏」ではなく「大仏殿の大仏」であって、「当山の観音、当所の不動明王、当寺本尊薬師如来」と日本の神祇と等質視される「仏」は目に見える各寺院に鎮座する実在の「彫像・絵像」を指している。
p77:中世冥界では「神、仏」の2分法は通用しない、「神」とは神・仏・諸天・精霊など人間を越えた存在全てを包括しており、他界にあって来世・次世の救済をする彼岸の仏を「救う神」、此の世にあって賞罰を司る此土の神仏を「怒る神」という分類が当時に生きる人の冥界のイメージであった。
p72:その仏(観音)は今もその寺にいる、必ず詣でて拝むべし『今昔物語』
・現世利益は此の世の仏、極楽に導くのは他界浄土の仏
・他界浄土の仏=浄土信仰の対象即ち「弥勒菩薩兜率天観音菩薩補陀落浄土釈尊(印度に生誕した釈迦の本地)、西方極楽浄土阿弥陀仏
・個人の地縁・血縁とは無関係の西方浄土阿弥陀仏は「日本の仏」とは明らかに性質が異なる。

*仏と最初に対峙したときの古代日本人は仏を藩神(異国の神)と捉えていたので、仏は当初から「神」であった。
古代律令の時代から中世・近代を経て神々から「仏の抽出」を行い明治期の廃仏稀釈にて神仏分離の完成とする。これに従えば神仏習合・神仏混合説は「妄想」となる。