偽書の精神史 (講談社選書メチエ)

偽書の精神史 (講談社選書メチエ)

偽書の精神史―神仏・異界と交感する中世
p64:伊勢神道は経済力を付けた「外宮」が「内宮」に迫ろうとする確執から産まれた。外宮の豊受大神は内宮の天照に神饌を捧げる給仕・従僕の役割だが「神道五部書」中の「御鎮座伝記」で「止由気皇太神=アメノミナカヌシ」となり遡って昇格してアマテラスと同格になる。
p72:「獄前の死人、訴えなくば検断なし」=警察署の前に例え他殺死体が転がっていても、訴訟人がいなければ捜査は行わないということで、中世社会では明らかな刑事事件でも誰かの告訴が無ければ立件されることはなかった。
p73:中世の司法:近代国家では法律判例は司法当局が保管するのが常識であるが、中世の司法組織は法判例の蓄積を保持しなかった。
鎌倉幕府の裁判制度では「当事者自身」に訴訟に関わる「法律」の提出を命じたので、同様な争点を持つ近接する裁判で、別個の法令が適用され「異なった判決」が下されるのが少しも珍しいことではなかった。結果、中世の裁判では式目・判例の偽作が頻発し、「先例」の名の下勝手な判例をでっちあげていた。
中世の訴訟文書に充満する先例・傍例は客観的には単なる「修飾語」に過ぎない。
聖徳太子の未来紀
親鸞の夢、
p95:参詣・参篭者の増加に伴い奈良時代までは参詣者の為の場所は存在しなかったが、平安時代後半からは仏の安置される「内陣」に対して、礼拝者の位置する「外陣」が独立した広い空間を占めるようになる。院政期の絵巻には仏堂の外陣や縁側で夜を明かす参篭者が描かれるようになる。
p165:仮託の精神構造:前近代では「個人」の新しい発見や独創性は「信頼に値しない」と見なされたので、客観的には「新規の意見、独創的な見解」でも時代の権威となっていたテキスト、先師の説を借りた上で、その「真意」を見出した、という面倒な手続きを踏まねばならなかった。
p167:12世紀後半からの「中世神道書」と呼ばれる一群の秘書は先師や非実在の人物に「仮託」された偽書

*要再読