ヨセフス研究II−ヨセフスとキリスト教
・フラウイウス証言:
「さてそのころ、イエースースという賢人が・・・・あらわれた。・・・彼(こそ)はクリストスだったのである・・・」(古代誌18・63-64)
これが「イエス=キリスト」に関する「唯一」の聖書外証言であるが、これは正に「信仰告白」で余りにキリスト教的である。
キリスト学者がこの文に異議を唱えるのは16世紀になってからであるが、オリゲネスは「ケルソス駁論1・47」で
「この著者(ヨセフス)は、イエスをキリストと信じなかったが・・・」
とし、また「マタイ福音書註解10・17」でサンヘドリンの裁判にかけられるイエスの兄弟ヤコブユダヤ古代誌20・200)に言及し
「彼(ヨセフス)はイエスをキリストとして受け入れなかったが、それにもかかわらず、彼がヤコブが大変な義人であったと証したことは立派なことである・・・」
としているのに対してオリゲネスの後輩エウセビオスが引用するヨセフスは逆に「イエスをキリストと告白」している。
また、神殿陥落の主因をヨセフスはイエスの兄弟「義人ヤコブ」の死に対する報復としているのに、カエサリアのオリゲネス・エウセビオス両名の見解は「イエス殺害に起因」するとしたがっている。
フラウイウス証言は「オリゲネス〜エウセビオス」間の矛盾から信頼を損ねている。ーツヴィ・バラス

・イドマヤ出身のヘロデ王時代の「収税人」がヘレニスト植民都市出身の外国人労働者で、「兵士」がローマ帝国辺境の北部欧州出身傭兵の「非ユダヤ人」であった為に「蔑視」対象だった可能性はある。

・洗礼のヨハネ:ヨセフスは「自伝10」で16歳のころパリサイ・サドカイ・エッセネの各派教義を「徹底的に」学んで卒業したが満足できず、後に19歳までの3年間荒野の「バンヌース」の熱心な弟子であった経験があり、ヨハネの教義派閥を間違える筈がないので、ヨハネは派閥に属さない荒野を彷徨う「単独者=聖人」であったとする。
ただし、16歳から19歳までの3年間に「3派制覇とバンヌース」に師事するのは時間的には不可能ではある、なにしろパリサイ派で12ヶ月、エッセネは更に長い修業期間が必要だったから。

・第一次ユダヤ戦役で全滅したエッセネ派、神殿崩壊で収入の途絶したサドカイ派ユダヤ史の表舞台から消滅した。以後、ユダヤの地で政治・宗教的発言権を独占したのは「パリサイ(ゼロータイ、シカリオイ諸派含む)」である。後の世に記録を残すことが出来た事実を考えれば「イエス」が「パリサイ人」である可能性はある。

「ヘゲシップス」、「ヨシッポン」
・ヨセフスはユダヤ知識人に解るが、バカ(非ユダヤ)は誤解する様な創作(嘘)をする。

*要再読