ギリシャ人は「青」が見えなかった。ホメロス(*1)は空を「青銅色、鉄色」、海を白・黒・灰色・紫、時に赤ワイン色と言った。しかし「青い空、青い海」という表現は全く無い。青が見えなかったようだ。これはゲーテ(*2)が気が付いた。
シリウスは中国人には「白く」見えたが、ギリシャ人には「赤く」見えた。ギリシャ文化の継承者であるローマ人は疑いなくシリウスは「赤い」と書いた。
生後10ヶ月で盲目になり、50才に角膜移植で完全に機能する目を再取得した英国人男性がいた。術後「ぼんやりしたもの」が見えるようになったが、2年間の努力も甲斐なく充分に物を見ることなく彼は死んだ。
光学情報と眼球機能のみでは「視覚」は得られないのだ。

光の波長には色彩情報が無い、色は網膜から大脳皮質に至る道筋で創られる。色彩感覚は経験によって獲得されている。(*3)
↑ということで世界中の人がテレビやパソコンモニタで色覚情報を共有するような昨今はみんな同じ様にに見えているのか。
話は変って、犬は人間の言葉の「母音」しか聞き取れないので、飼い主が「あおずけ」と言うと「おあうえ」と聞こえているという、欧米人と日本人では風鈴や虫の鳴き声などの聞こえ方が信じられないほど異なっているとの話も聞く。

(*1)ただし、彼は「盲目」の吟遊詩人

(*2)<ラスコーの壁画の赤と黒>
 人間の文明の進歩に伴って、色の認識や命名も進歩したようです。最初は明暗を現す白と黒、次に血と火の色、生命の色といえる赤、そして大地や環境の色である黄色や緑、赤との対立において青が定位され、そこからピンクや灰色などの中間色へと進むようです。黒人アフリカでは白、赤、黒が基本色で、特別な感情的、宗教的価値が認められている由です。盲目のひとが開眼したときに認識する色の順もこれと同じだそうです。確かにフランスのラスコーで見た牛などの壁画は、いずれも赤と黒と褐色でした。ギリシャの壷も赤と黒です。ニーチェギリシャ人は青と緑について色盲だったと書いたそうです(以上小林康夫『青の美術史』)。

(*3)乳幼児期の視覚体験がその後の色彩感覚に決定的な影響を与える
 照射光の波長成分が大きく変化しても、ヒトは物体の色を正しく認識できる。たとえば、晴れた日の日中、真っ赤な夕焼けのとき、あるいは蛍光灯の光で照明されているとき、物体から眼に入る光の波長成分は大きく変化している。それでも、リンゴは赤くバナナは黄色に見える。この「色の恒常性」は、眼に入射する光の波長そのものには「色彩」情報が欠けていることを示している。
 眼に入る光の性質が大きく変化しても、対象物の「色」は変化せず同じように知覚されるのは、「色」が網膜から大脳皮質に至る神経結合の連鎖によって創り出されるからである。「色」を生み出す神経系の働き(色彩感覚)は、生得的なもの(生まれながら備わっている)と考えられてきたが、実際の神経回路網の構造と働きは未だ明らかになっていなかった。
 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)脳神経情報研究部門【部門長 岡本 治正】認知行動科学研究グループの杉田 陽一研究グループ長は、生まれて間もないサルを1年間単色光照明だけで飼育した後に、サルの色彩感覚を詳しく検討することにより、これまで生得的なものと考えられてきた「色彩感覚」が、経験によって獲得されるものであることを明らかにした。
 本研究は、独立行政法人 科学技術振興機構【理事長 沖村 憲樹】(以下「JST」という)から産総研委託を受けて行ったものである。
 実験では、単色光照明で育ったサルは、見本の色と同じ色の対象物を選ぶという見本合わせの課題では、長い訓練によって正常なサルと同じ成績が得られるようになったが、見本の色によく似た対象物を選ぶという類似性判断の課題では、正常なサルとは極めて異なった結果が得られた。これは、単色光照明で育ったサルが、正常なサルとは異質な方法で色を分類していることを示している。
 さらに、いくつかの色の中から一つの色を選択するという課題の結果は、照明条件によって大きく変化し、これらのサルに「色の恒常性」が備わっていないことが明らかになった。これは、「色彩感覚」が生得的なものではなく、経験によって獲得されるということを示すものである。
 今後、これら色覚障害のサルの神経活動を丹念に調べることによって、「色の恒常性」を実現している神経回路網の構造と働きを明らかにすることが可能である。これらの知見は、照明条件に左右されない映像技術・画像処理技術の開発に大きく寄与するとともに、正常な色彩感覚が発達するのに必要な環境条件の設定に科学的な根拠を与えるものと期待される。
 本研究成果は、自然科学系雑誌カレント・バイオロジー(2004年7月27日号)に掲載される。

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