http://www4.plala.or.jp/kawa-k/heike/1-4.htm
不思議を示す事例としての禿髪

 このような特殊な家柄の貴族に、単なる中下級貴族に過ぎなかった平氏が肩を並べるにいたったこと自体が歴史の不思議であるわけだが、この禿髪の句は、清盛が太政大臣にまで上った不思議を述べたあとで、その姑である時忠も清盛の縁で、若くして大納言にのぼるという不思議を述べ、この不思議を示す事例として、最後に、時忠の先の言葉と、清盛が「禿髪」と呼ばれる童形の武力集団300人を置き、平氏に対して悪口を言うものがあれば、直ちにおしかけて家を取り壊し、家財道具を没収し、家人を連行して平氏の拠点である六波羅にて処罰したという話をあげる。この禿髪は禁中への出入りすらも自由であり、都の官人たちの統制もきかないありさまであった。

 この「禿髪」とは何であろうか。

聖なる集団としての禿髪

 その仕事を見れば、それは京中の治安を維持する検非違使とほとんど同じである。どこが違うかといえば、検非違使は、天皇直属の役所であるが、禿髪は清盛直属であることと、その禿髪が童形の14・5歳の童であり、赤い直垂を着るという、異形の姿をとっていることである。14・5歳といえば当時は元服を向かえ、大人になるのが当たり前である。それをわざわざ禿髪という童の姿をさせているということは、童という神に近い聖なる物の姿をさせているということ。そして赤い色の服というのも、彼らの神聖性を示すものであり、検非違使の下人である放免などの非人たちもしばしば赤い服を着ており、禿髪の非人にも通じる神聖性を暗示させる。
 検非違使天皇直属の武力として編成され、その実行部隊に非人が組織されているということは、異形者たちを支配する、異界をも支配する聖なる支配者としての天皇の姿を現すものであった。これと同様な神聖性を示す武力集団を清盛が直属のものとして持ったということは、彼と天皇とが、同等のものとして認識されていた可能性を示すものであろう。

 平家物語は後に祇園女御の句において、清盛が白河上皇の落しだねであることを示すが、禿髪の話は、これと同様に、清盛の神聖性を示し、これが平家栄華の基礎だと言っている可能性があるといえよう。

↑身分・職業・階級を示す「装束」を半ば強要された「放免、馬子、稚児、聖」などの外観を模倣することで彼らと同等の「能力」を常人が即席で獲得する(本末転倒)という行動の魁なのか?
それとも権威者(天皇、神仏)の気分次第で身分・階級等付与できるのであるから人間に将来の貴賎はないと考える清盛の意思表示だったのか?