家族という神話―アメリカン・ファミリーの夢と現実

家族という神話―アメリカン・ファミリーの夢と現実

20:”貧困とはいつでも女の問題である”クローディア・ゴールディン:1920年代以前離婚した父親には子の扶養義務は無い、子は家長の資産だったから家庭を捨てることは”将来の子の稼ぎを受け取る権利を放棄する”と考えられていた為に養育義務は消滅した。
21:(過去に)貧困や社会変動から人々を守った家族形態は見当たらない。
33:19世紀の都市住民の中50%〜75%は10年後に同じ場所には住んでいない。
現代ほどに祖父母が生きている幸運に恵まれた時代はない。
35:20世紀に入って離婚が容易になり、昔なら生涯を独身で通した女の中から結婚に挑戦する者が増えた。
38:1988年子供が居る世帯の約半数は共働きで、父のみは25%。
51:1930年代〜40年代にタフな一匹狼を演じていた大物俳優の殆ど全員が1950年代になると神経症的・精神病的なヒーローを演じた。←ピーター・ビスカインド
55:1960年サン・ファンよりもニューヨーク在住のプエルトリコ人の方が多い。
56:1951年ハーベイ・クラークがイリノイ州キケロに引っ越して来たとき、4千人の暴徒は警官隊が傍観する中4日間に渡って彼の住居を破壊し続けた。
57:19世紀であれば子供を産まない女は「社会的に不利な立場にたたされるか、時には個人的悲劇とみられる」かであったが、1950年代になると「変質者に近い」と見なされた。
61:1958年のミス・アメリカであるマリリン・ヴァン・ダーバーは5歳〜18歳で大学入学で家を出るまで父親から性的虐待を受けていた。
68:1950年代白人の未婚の母を「社会復帰」させる必要性が強調され(黒人は対象外)、赤ん坊は養子に出して「人生をやり直す」ことが勧められた。
75:「家族(family)」とは元は「奴隷集団」を意味する単語。
77:他者への依存は未成熟・恥ずべき・女性的であるとする考えはアングロ・アメリカン特有、多文化には見られない。資本主義成立以前の社会では、個人が血縁・地縁と無関係に行動することはなかった。結果的に、個は常に関係性の中で定義された。というのは個人が他者との関係を選ぶ立場にはなく、他者との関係の中から個人が生まれ、常に他者との関係に依存するものであったからだ。個の自立は恐れられこそすれ重視されることはなかった。
79:カラハリのサン族はプレゼントを貰って直に返礼をすることを大変な侮辱であると考えている。借りを嫌がる、つまり相互の関係を継続させるのに役だつ義務を自分は負う気がないとの意思表示にになるからである。
トロブリアンド諸島の住民は返礼の強要を疑われると「彼は物々交換をする人だ」と悪口を言われる(クラ交換ネットワーク)
80:幾つかの言語(例えばドイツ語)では「贈り物」と「毒」とが同じ単語で表現されるようになった。
93:アダム・スミスの「見えざる手」の働きという議論は、男たちの妻子への責任感こそが彼等を労働に駆り立て、生産性を上げ、繁栄をもたらすのだという前程に立つもの。
103:”全く皮肉なことに男性というのは援助が必要になる(ホームレス)ことによって、援助を得る権利を喪失していまう”ピーター・メリアン
112:アメリカ人には自分の力で成し遂げたことは過大評価し、他者に負う部分は否定する傾向がある。
114:20世紀初頭のフィラデルフィアでは「血縁より、近所の人々の方が頼りになるし、互いに助け合おうとする気持ちが強い」地域もあった。マイケル・キャッツ
116:「大草原の小さな家」はローラ・インガルス・ワイルダー回顧録を娘のローズ・ワイルダー・レインが大幅に改作した虚構。
「西部開拓時代の経験から西部の人々は常に政府の助成をあてにする習慣がつき、開拓時代の要素が消え去った後も長く残っていた」パトリシア・ネルソン・リメリック
122:1950年代に多くの家庭がマイホームを獲得したのは、個人の倹約や努力ではなく、連邦政府の住宅ローンと教育資金給付のオカゲ。
124:1950年〜60年代を通して税金は(同じく政府の援助で建てた白人中流層の)郊外住宅地からの通勤者のための道路建設に使われたが、都市部住民と貧困家庭が利用する路面電車トロリーバスにはまらなかった。1890年アメリカ国民一人あたりの路面電車利用は欧州の4倍であった。1946年から80年間の幹線道路への政府助成は1030億ドルに達するが、鉄道への助成は60億ドルに留まる。
129:「1955年から72年の間のどの時期、どの地域をとっても、福祉手当が大きければ大きいほど、女性が世帯主である割合と生活保護受給率が低い」ヴィリアム・デアリティ&サムエル・マイヤーズ
134:”過去20年間に、年をとるのにかかる費用は社会化され、子供にかかる費用は個人負担となってしまった”シルビア・ヒューイット
139:S&L事件は低利の住宅ローンが生み出した赤字が原因で生じた。
141:政府が1988年に差し押さえたS&Lを売却した時、「買い手は税金免除、各種の助成を受け取る」ことを条件にこれに応じた。ある投資家の持株会社は5つの銀行を3億1500万ドルで買取、17億ドルの免税を手に入れた。
185:「家庭回帰」は19世紀と20世紀いずれの金ぴか時代にも公的生活を貧しくした:「疎外された私生活のある側面と、疎外された公的生活のある側面とが共に拡大してしまった」エリ・ザレツキー
187:1988年、アンジェラ・カーダー:
191:家が社会の介入から自由であったことなど一度も無い。
198:自らの意思に拠らずに徒弟になった者は徒弟制度がかつて家庭的であった時代の諸権利を失う:”1840年代になると、かつてあらゆる階層の子を訓練し社会化する機能を家庭に代わって果たしていた徒弟制度が貧困層の子供を徴収し搾取する装置になっていた。”マックスウェル・ブルームフィールド
219:強力な核家族とはたいてい強力な国家が生み出した。
221:ナンシー・クルーザン事件:
229:母の日の奇妙な由来:家庭の外で母親としての女性が組織的な社会・政治活動をすることを祝う日。最初の提案者は1858年アパラチア地方の衛生状態改善のために母親たちのワークデイ(仕事日)を組織したアンナ・リーヴス・ジャーヴィスと1872年に毎年6月2日を平和を祈る母の日とするのを提唱したジュリア・ウォード・ハウ。
1905年にアンナ・リーヴス・ジャーヴィスが死に同名の娘アンナ・リーヴスが手紙によるキャンペーンを打ってからおかしくなる。1914年5月8日第63回国会で採択された母の日は家庭生活とプライバシーを讃える日と捉えられ社会改革運動とのつながりを失う。安価なカーネーションを身に着けて母の日を祝おうと提案していた(娘)アンナ・ジャーヴィスカーネーションが1本1ドルという暴利で売り出されたのに腹を立て母の日を金儲けに利用させまいとキャンペーンを張る。彼女は死ぬまで母の日を「本来の姿」に戻そうと戦うがパラノイアが昂じて1948年に狂死。
239:第二次世界大戦の防衛産業が労働障壁を取り除いた。(帰還兵が来るまでの)1940年〜45年女性の労働人口は50%以上増加した。
280:1900年65歳以上は全人口の4%で今日より養ってくれる子供の数が多かった筈だが、彼等高齢者の貧困率は国民の中で一番高かった。
287:同性愛の烙印を押される行為の範囲が以前より広がってしまった。
300:変化をもたらす選択肢を検討しないで、ただただ変化を嘆いて時間を浪費している。
303:誘拐者の99%は親
311:(初期の有名な?)キリスト教神学者の売春反対の理由は自分が捨てた子供と「近親相姦の罪」を犯すことを真剣に憂慮した。ジャン・ジャック・ルソーは彼の実子5人全員を捨子養育院に引き取らせていた様な時代だから致し方ない。
329:子供には親の間違いを乗り越える柔軟性がある。
331:W・T・グラント財団の高齢化の研究によれば(子供時代の破滅的な問題と思われるものも含めて)人生初期の経験の多くは、65歳の段階ではその人が幸福かどうかに影響しない。
333:ジョエル・スタインバーグ事件
336:16世紀フランスのイエズス会宣教師は北米モンタネー・ナスカピインディアンに出会ったとき彼等に貧困・盗難・貪欲・暴力がないことに感動したが、同時に子育て、夫婦の対等な関係をおぞましく思った。
「お前達フランスの人間は自分の子供しか愛さないが、私達は部族の子供全てを愛するのだ」
339:1989年、チャールズ・スチュアート:犯罪の90%は同人種、殺人は被害者の夫・妻
360:典型的なクラック使用者は40歳代白人男性:逮捕率と警察への通報率が人種によって違いがある。
369:過去5年間学校での麻薬使用を減らす運動の先頭に立ったのは白人ではなく黒人の高校3年生。