古代文明の謎はどこまで解けたか〈1〉失われた世界と驚異の建築物・篇 (Skeptic library (07))

古代文明の謎はどこまで解けたか〈1〉失われた世界と驚異の建築物・篇 (Skeptic library (07))

p214:ヨシュアの長い日(太陽が静止した日):
ヨシュア10:11-14 彼らがイスラエルの前から敗走し、ベト・ホロンの下り坂にさしかかったとき、主は天から大石を降らせた。それはアゼカまで続いたので、雹に打たれて死んだ者はイスラエルの人々が剣で殺した者よりも多かった。
主がアモリ人をイスラエルの人々に渡された日、ヨシュアイスラエルの人々の見ている前で主をたたえて言った。「日よとどまれギブオンの上に/月よとどまれアヤロンの谷に。」
日はとどまり/月は動きをやめた/民が敵を打ち破るまで。『ヤシャルの書』にこう記されているように、日はまる一日、中天にとどまり、急いで傾こうとしなかった。
主がこの日のように人の訴えを聞き届けられたことは、後にも先にもなかった。主はイスラエルのために戦われたのである。

イギリスの考古学者ジョン・フィシアン・アダムズは1945年にツングースカの隕石爆発の詳細を知り、1908年6月30日の実体験と諸記録を基に1946年に「ヨシュアの長い日」は隕石爆発が夜空を長時間照らしたものである可能性を指摘していた。
ツングースカの隕石爆発があった1908年6月30日の目撃報告によるとイギリスでは午後11時30分に無照明の屋内で新聞が読め、深夜にクリケットの試合、スコットランドスウェーデンでは1分間露出の写真撮影が出来た程に夜空が明るかった。爆発で舞い上がった塵が太陽光を反射したとする説がある。しかし、天文学者のダンカン・スティールは隕石爆発で長時間に渡って空が明るくなったメカニズムは解らないとしている。

p232:ベツレヘムの星:
神学、ローマの古代史、考古学の研究者ニコス・コッキノスは1980年、イエス磔刑は紀元36年としたが、新約聖書学者には広く受け入れられていると言う。
古代ユダヤのラビは通常50歳に達した者を指していた。ポリュカルポスに師事したエイレナイオスはイエスは50歳位と述べている。ポリュカルポスは実際にキリストに遇ったと主張する人を知っていたとされる。
ヨハネ福音8:57 それゆえユダヤ人たちは彼に言った,「あなたはまだ五十歳になってもいないのに,アブラハムを見たことがあるのですか」
ヨハネ福音2:20-21 それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。 イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。

エルサレムで建てられた3つの神殿で建設に46年かかったのは無いので、21節のとおり神殿がイエスの体のことならこのとき彼は46歳だったのだ。エルサレムの神殿はヘロデ王が紀元前12年に完成されたので、それから46年後の紀元34年に最初の説教、紀元36年の磔刑のとき48歳。
紀元前12年〜11年に出現した「ハレー彗星」がベツレヘムの星の正体。