・ゲッチンゲン大のルートビッヒ・プラントルは「フォッカーD7」を設計、これは「遅く飛ぶ」ことで他機を圧倒した。この頃、厚みのある主翼が空気抵抗を抑えられることに気付いて、厚くなった翼に機銃・車輪・燃料などを収納し、翼の強度が増したので補強ワイヤーを外して単葉機の登場。
・シュナイダー・トロフィー・レース:1920〜1930年に行われた民間主催の飛行機の祭典、このレースの1931年優勝経験者アールジェイ・ミッチェルは1936年に「スピットファイア・マーク1」を誕生させた。
1920年代英国は海岸に「反響版」を設置して敵機の襲来を予知・警戒した。

・ロバート・ワトソン・ワット:雷雲探査の目的から探査レーダーを開発、1935年には英国沿岸に設置された。
・カール・ノルデン:ジャイロ・スコープ、望遠鏡、鏡、モートー等からなるアナログ・コンピュータを使用した「爆撃照準機」を設計・開発する。これは標準を定めると爆撃地点まで自動操縦装置となるもので、この装置を操作する爆撃手は秘密守秘の宣誓が必要だった。
・モスキート爆撃機:女性の労働と家具メーカーが請負ったベニア板製だったが、ドイツ機は追いつけ無かったので、重爆撃の先導役など大成功を収めた。
ジー式誘導?:夜間誘導用フランス海岸で1.6キロ、ドイツ国境3キロの誤差が出た。
・B29:1944年当時日本を爆撃するには印度からヒマラヤ山脈を越える必要があったが、B29全てを充たした。内部が与圧され暖房付きになり全部屋を往来できた。しかし、高度9000メートルで日本を目指すと気流の影響で爆撃不能だったので、1944年7月に赴任した「ルメイ」はB29の取り外し可能な装備を悉く外して荷を「焼夷弾」に集中し夜間・低空での大量爆撃を採用した。