ライト兄弟が初めてプロペラを「回転する翼」と考えた。
・初飛行から5年間、飛行中に翼を変形させて進路変更・機体制御ができたのもライト兄弟だけ
・1908年米軍はライト・フライヤーを購入して「軍用機」の誕生
・1909年ドーバー海峡横断、仏でエンジン軸にプロペラを直結した空冷式ロータリー・エンジンが開発された。ただし、エンジンの回転遠心力の影響で機体の制御方向が略「90度」パイロットの思惑(舵の方向)とずれる難があった。
・1915年3月15日ヌーブ・シャトル偵察機からの航空写真による戦場地図の作成、無電による着弾観測が始る。
ローラン・ギャロス:プロペラ裏面に金属板を張り機首に機関銃を固定して2週間で「3機」を撃墜したが、自らは地上からの攻撃で撃墜され機体諸共捕虜となる。この機体を参考に設計士アンソニー・フォッカーに機関銃とエンジンが同調する装置を開発されることになり、初の「フォッカーE1戦闘機=アインデッカー」が誕生、フランス北を(数週間)制空(フォッカーの祟り)した。(数週間の寿命の原因は近年になって翼に欠陥があったのが判明)
・オスワルト・ベルケ:初の空戦立案者兼エース・パイロット
・WW1のエース・パイロットは工場に行って自分の乗る機体の仕様変更を要求することができた。
・アルバトロスD1:水冷式で2基の同調式機銃で欧州北の制空権を奪う。「血の4月」1917年4月の大規模空中戦で英軍は139機を1月で失う。
偵察機の観測員が爆弾投下のアイデアを思いついたらしい、初期の爆弾は落下時にプロペラが回ってワイヤーを巻き切って、安全装置が外れる仕掛け。
・イーゴリ・シコルスキー:1914年東部では世界初の4発重爆撃機である「イリヤー・ムーロミェツ」が登場。
1917年5月:ゴータ爆撃機

・1973年10月エジプトにはイスラエルに向けてソ連製「戦術核」が配置された(情報が存在した)ことがある。このときニクソン大統領はウオーターゲート事件で身動きが取れず、大統領不在のまま「デフコン3」が発動された。
CIAのエイムズがスパイ容疑で内偵されたときに盗聴された最初の内容は妻の「ソ連から何時入金があるの!」だった。
・勤続30年の「スパイ・ダスト」の著者(トニー&ジョナ)トニーがCIAで働くきっかけは新聞の求人欄にあった「海軍に従軍する画家」の募集に応募してのことで書類偽造が主な仕事だった。