『新約聖書』の誕生 (講談社選書メチエ)

『新約聖書』の誕生 (講談社選書メチエ)

新約聖書』の誕生 *再読要
田川建三書物としての新約聖書がベースになっている。
p20:古代の標準的な「神」の役割は、農耕・牧畜の豊穣を保証するか、他部族との抗争があるとき自らの民族を勝利に導く軍神などの「民族の守護・救済」で役に立たないと解れば別の神に乗り換えられるのが普通だったが、ユダヤの民は敗戦後も自族の神を「創造神」に変貌させて見捨てなかった。
p23:メシア待望思想が産まれた時代、産後の間もない母親に対する最上級の褒め言葉は「この子はメシアかもしれない」
p33:エッセネ派パトロン(資金提供など)はヘロデ派(親ローマ)
p34:ゼロテ・シカリ(別名レスタイ=強盗)の標的は成果の出やすい「エッセネ派
p35:「サマリア人の譬」で襲われる旅人は「エッセネ派」、強盗はレスタイだから「ゼロテ」は解り易い、半殺しなのは十戒(殺す無かれ)を尊守してのこと、通りがかりのレビと祭祀が「サドカイ」で反神殿を標榜するエッセネ派を助けないのは当然、社会内部の抗争の犠牲者を対立圏内にいる内部者は助けることが出来ないが部外者(外国人)なら助けることが出来ることの譬。同じ理屈で強盗(ゼロテ・シカリ・レスタイ)のバラバは民衆の支持があったので助かるがイエスは磔になる。
p41:ユダヤ教の人間観:ユダヤ人、プロゼリット(改宗者)、地の民、罪人までは神の保護範囲。対する非ユダヤ人は異邦人で、ユダヤ教に関心はあるが改宗を躊躇う者を「神を畏れる者」と呼んだ。
・エクレシア(教会)はクハル・ヤーヘ(神の民の全体集会)の70人訳
p64:アラム語を話すグループが「ヘブライスト」で指導者層(ペトロ)は「12人」で表現される。対してエルサレム教会の分裂前の極初期にギリシャ語を話す者がユダヤ人になり、さらに神殿批判の立場に同調して教会主流派と対立したグループが「キリスト教ヘレニスト」で指導者層(ステファノ)は「7人」と表現される。ギリシャ語圏のユダヤキリスト教徒が皆ヘレニストという訳では無い。
・癒しの活動の内容は「悪霊祓」
p69:ヘレニストとヘブライストの決定的な対立分離は30年代前半
p76:「12人」(師の弟子)は「口頭伝承」のみによる布教活動で権威を独占し、これの維持に努めた。だから、ヘレニストが「マルコ福音」を支持したのは偶然のことでは無い。マルコ福音は反エルサレム教会の文書なのだ。
p89:ペトロ(弟子)からヤコブ(血縁者)への政権交代
p93:パウロ殺害をユダヤ人40人が誓約「使徒23:12−22」
使徒決定「使徒15」
p115:「第2コリント」は複数書簡の合冊であたかも1書簡の体裁を保っている。また、「ローマ」書末尾16章は15章までの複数の本文に付いていた「挨拶」文を省略せずにズラズラ並べたものと考えられている。
p120:信仰の源語とされるギリシャ語のピスティスの本格的な意味は「忠実であること」で、主人に仕える者の絶対的な服従の態度である。信じるとか思い込むとかの余地は無い。
p132:神の一方的な「赦し」(恵み)
p147:ヨハナン・ベン・ザッカイはヤムニア会議の時のファリサイ指導者、このときユダヤ社会の管理・指導層は本来政治活動には興味の無い(従って反ローマでは無い)ファリサイ派が着くことになる。この会議からファリサイ独裁となってから「他諸派」が排除の対象となりキリスト教ユダヤ教と袂を別つことになる。
・115から117年にはキプロス、エジプト、キレナイカメソポタミアユダヤ人の叛乱があった。
p151:「主の兄弟ヤコブ」が60年代前半に消えるとキリスト教徒の一部はエルサレムに戻りヤコブの後継者として「イエスの叔父クレオパ」の子シメオンが選ばれた。
・第1ユダヤ戦争後シナゴーグを追い出されたキリスト教徒には「口承の律法」を維持する手段が無くなり口承は廃れた。これ以後は「書かれた律法=聖書」のみが権威を持つ。
使徒の地位は甚だ高い権威をもつが「一代限り」
p166:エルサレム教会がキリスト独自の情報を「口承」のみに頼っていた事の批判として「マルコ福音」が提出されたのである。
p177:シナゴーグから分離されてからはユダヤ人から新たにキリスト教徒になる者が激減した。
p183:意外なことにルカ文書の著者は「パウロの手紙」を引用していないのでパウロ書簡を知らなかった可能性が高い。ルカ文書の著者は従来非ユダヤ人の出自と捉えられてきたが、文書にはキリスト教運動の指導的役割がユダヤ人に限られている、パウロの側近であるギリシャ人「テトス」について一切言及が無い、などユダヤ中心主義が認められるのでユダヤ人と考えても良さそうだ。
p224:「ヨハネ福音の著者」はマルコ福音・ルカ福音を知っていたのは確実。「ポリュカルポスの手紙の著者」はマタイ福音・ルカ福音・使徒行伝を知っていたと思われる。パピアスはマルコ福音を知っていた。マタイも知っていたかも知れない。2世紀前半では4つの福音は広く流布されていたが、パウロ書簡は一切知られていない。
p237:マルキオンはルカから旧約の引用、誕生物語、系図無花果の木の譬、放蕩息子の譬、エルサレム入城、宮浄め等を削除した。
p268:迫害を最後まで抵抗した者は殉教してしまうので、迫害を生き残った多くの者は棄教者であることを意味しする。棄教から復帰した者の方が圧倒的に多かったのである。また、神学的素養の面では質の低い者でも最後まで抵抗を貫き生き残ると「英雄」扱いされて教会組織の指導者に祭り上げられたりしたので、教会指導者の質は低下した。