聖パウロ (文庫クセジュ)
パウロ:要再読
p124:ローマの大火で密告合戦、ペテロ派とパウロ派が相互に名立たる者から帝国警察に放火犯として密告するのは容易であった。パウロはオスティア街道で剣による処刑か?
p130:死海文書の発見などにより近年では神殿崩壊以後のユダヤ教は多様で、隣接する諸宗教の多くの思想を同化する能力があったことが解ってきた、パウロユダヤの思想家であり当事のユダヤ教内部の論争に参加していたのである。
p138:パウロの時代の中心的なメッセージは「師の十字架と復活の福音」で、イエスの言葉の伝承は「二義的」なものであり、イエスを讃える伝記的な文書(福音書)の存在は確認出来ない。パウロ本人が師の言葉の伝承が「伝えられていない」ことを嘆いている。(第一コリント:7)
p142:サドカイ派は「律法=モーセ5書」のみが聖書であったが、パウロは「預言者詩篇他」も正典と捉えて「70人訳」から頻繁に引用している。(ローマ:4:、9−11、ガラテヤ:3:)
p146:「第一テサロニケ:2」は「使徒:17」の事件で生じた怒りにまかせて書いたかもしれない。
p150:同性愛否定「ローマ:1:」
p151:自由人に労働を推奨「第一テサロニケ:4、第二テサロニケ:3」
・ゼロテから足を洗って以来彼らに同調せず、ローマに保護を求めることしばしである。「ローマ:12、マタイ:5」
p159:「牧会書簡」はパウロの後継者がシナゴーグの去り方を書いている。
p164:「異端者たちがいることは、良いことである」、アウグスティヌス(354〜430)以前にはパウロは真に理解されていない。
・主の教えの主戦場(宣教の場所)はローマと見抜いたが、マルキオンが各地の教会に埋もれた彼の書簡をサルベージしなかったら彼の書簡は失われていた可能性もある。