NANA -ナナ- スタンダード・エディション [DVD]

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1、神の国の住人
マルコ 10:25 富者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方がやさしい
マルコ 10:26 すると彼らはますます驚いて、互に言った、「それでは、だれが救われることができるのだろう」
マタイ 21:31 よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがた(祭司長・長老)より先に神の国にはいる。
ルカ 7:28 女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。

神の国に入りやすい人の基準は2系統あり
(貧富の差)
貧乏人

富者
(穢れ・罪深さ)
取税人・遊女(生きる為に仕方なく付いた賤しい職業)

祭司長・長老(罪・穢れから遠い存在)

ファリサイ人(金持ちの道楽で信仰を極める)

バプテスマのヨハネ(究極の潔癖症

「マルコ 10:25-26」の富者が神の国に入れないなら誰が入れるのか?と皆が驚いていることから解るとおり、当時の人々は金持ち、権力者など現世においての成功者(世襲も含む)は神から祝福された者として考えていた。

「マタイ 21:31」では祭司長・長老は取税人、売春婦より明らかに格下で、「ルカ 7:28」では彼らよりヨハネが遥かに格下という表現は、持上げている様で実は信仰篤きヨハネを酷評している。

2、神の国の場所?
ルカ 17:21 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
「ルカ 17:21 中にある」は手の届くところ(範囲)にあるという意味らしい。(当時の用例:矢の中=弓矢の射程内)

3、神の国とは?
(ぶどう園の譬=労働者の不公平)
マタイ 20:1-15 天国(=神の国)は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。

マタイ 20:7 彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。

マタイ 20:14 自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この”最後の者にもあなたと同様”に払ってやりたいのだ。

「マタイ 20:7」不本意の失業者(誰も雇ってくれない)が無く、「マタイ 20:14」利己的な労働を評価しない世界。弱者救済のある世界は神の国に近い。

この「ぶどう園の譬」は当時を含め現在に至るも万人が支持しない、それが為に「マタイ 20:16 あとの者は先になり、先の者はあとになる」の行を理解を拒否した後世の者が挿入せざるを得なかった。
http://park10.wakwak.com/~ebible/bsrch/
http://www.h3.dion.ne.jp/~vincent/person/person00.html