日本書紀の謎を解く―述作者は誰か (中公新書)

日本書紀の謎を解く―述作者は誰か (中公新書)

日本書紀の謎を解く―述作者は誰か:
4、7、12、13、15、18、21巻は複数帝紀の合冊で、16巻武烈=7頁、28巻天武上=20頁、29巻天武下=57頁と紀・頁には確たる編集方針はない、どうも無理に「30巻」に拘った模様、ちなみに「漢・後漢記」も30巻。
上田秋成:此古事記も、熟読すれば、全き古書には不有(あらず)して、残簡の有りしを、後人1度にあらずして、追加(おいおい)に補けつせし者とおもゆるが、・・・
山片蟠桃:文字の出来るは国の開くるなり、文字なければ開けざるなり。
日本へ文字渡リシコトハ、応神天皇ノ御宇ニシテ、ソノ後ノコトハ事実明白ナリ、ソレマデノコトハ、口授伝説ニシテ実ヲ得ベカラズ。(中略)日本記神代ノ巻ハ取ルベカラズ、願クハ神武巳後トテモ大抵ニ見テ、十四五代ヨリヲ取リ用ユベシ、然リト雖モ、神功皇后三韓退治ハ妄説多シ、応神ヨリハ確実トスベシ。←非合理な記述は信用しない。
津田左右吉:帝記的記載(皇室系図)と旧辞的記載(昔物語)を析出、「帝記・旧辞」の成立を欽明・継体朝に求め、「帝記」の応神以前は史実性に疑義があること、また応神以後も「帝記的記載」以外は造作が多いことを公然と指摘したため1942年に有罪。
東洋史・考古学・人類学・民俗学・神話諸学の知見を援用、記事の虚実を判定した。

α群(14〜21、24〜27巻)の著者は正音・正格漢文を綴れるが、日本事情には精通しない渡来唐人一世。(「夫婦=兄と妹」の関係が理解できていない)
β群(1〜13、22〜23、28〜29巻)の著者は正音には暗いが、倭音・和化漢文、仏典・仏教漢文の教養あり。
30巻の著者は倭習の少ない漢文を操る有能な邦人。
三宅臣藤麻呂の潤色・加筆には倭習が目立つ。
17条憲法は天武朝以後の著作。
14巻は13巻より先行した:安康紀13巻に「(眉輪王による安康帝の暗殺の)事の次第は詳しくは大泊瀬(雄略)天皇の紀(14巻)にある」との本末転倒の記述がある。
日本書紀の述作は雄略紀14巻から開始された。「万葉集」も「雄略」からである。
持統朝に唐人の「続守言」が14巻から執筆を開始21巻途中で降板、同じく唐人の「薩弘恪」は24巻から27巻を執筆、文武朝に「山田史御方」がβ群の執筆を開始、元明朝の和銅7年から「紀朝臣清人」が30巻を撰述したと同時に「三宅臣藤麻呂」がα・β両群に「漢籍」による潤色を加え若干の記事を加筆した。元正朝の養老4年(720)に日本書紀30巻が完成。