以下完全引用↓
http://www.asahi-net.or.jp/~bh3h-smjy/zuiso/nikki/200601.htm
1月19日(木)
 天皇皇位継承についてさまざまな意見が出ている。ところが右翼とか皇室ウォッチャーという人は天皇家の歴史に詳しいかというとそんなことはなく、指導的立場の人間ですらしばしばトンデモないことをテレビや雑誌で喋っている。まっとうな歴史学者がちゃんとしたことを言わなければならないと思うのだが、怖がっているのか面倒なのか、あまり発言しない。困ったものだ。
 本当に皇位の女系相続がいままでなかったのかどうか、それもあやしいものだ。とりあえずドシロウトの私が探してみて、あやしげなケースを2つみつけた。
1)欽明天皇
 武烈天皇でいったん天皇家の(男系)系統が絶えたのち、越前の豪族であった継体天皇が即位した。彼は応神天皇五世の孫と自称している。つまり天皇家からは十一親等離れているわけだ。朝鮮では(おそらく当時の日本でも)十親等までを親族とするしきたりがあるから、これはアカの他人だということを婉曲に言っているのだと思うが、それについてはここでは論じない。
 継体天皇、そしてその息子の安閑・宣化が即位したのは大伴金村が主導権を握ったからだ、という説があるが、前之園亮一氏は、当時は「時の権力者の推戴さえあれば皇位につけるというものではなかった」として、むしろ仁賢天皇の皇女が皇位継承のイニシアチブを握っていたと推論する。その根拠は、継体、安閑、宣化、いずれも仁賢の皇女を皇后にしているからだ。いわば継体王朝は仁賢の娘たちへの入り婿王朝である。
 そして欽明天皇継体天皇と、仁賢の娘、手白香皇女との間に生まれた息子。
 皇位は仁賢→武烈→継体→安閑→宣化→欽明だが、皇統(天皇の血筋といってもよい)は、仁賢→武烈→仁賢の皇女→欽明と受け継がれていった、すなわち、欽明天皇は、女系から継承した天皇なのだ(歴史読本82年12月増刊 秘史・天皇家の系譜「二朝は並立したか」前之園亮一より)。
2)元明天皇
 元明天皇は女帝ではあるが、独身でもなければ天皇の后でもない唯一の女帝である。その夫は草壁皇子天武天皇持統天皇の間に生まれた皇太子で、天皇になるのは確実だったが早死にした。持統天皇皇位は、草壁と元明の間に生まれた孫、文武天皇に継承される。ところが文武も早死にしてしまった。その息子(のちの聖武天皇)はまだ幼い。やむなく異例ながら、元明天皇が即位した。このとき即位の詔で、「朕が子天皇の譲りによる」と明言している。つまり元明天皇は、天智天皇の娘という資格ではなく、文武天皇の母親という資格で天皇になったとはっきり言っているわけだ。母から子という母系継承の逆ではあるが、これも変則的ながら、女系相続であると言えよう。