http://www.hayakawa-online.co.jp/2001/serial02.html
 古いSFファンなら、あれだけ科学的に正確であろうとした、映画『2001年宇宙の旅』について、あそこはちょっとおかしいよねとか、友人たちと色々話題にして楽しんだことがあると思う。
 それは世界的にもそうだったようで、中でもいちばん話題になったのが、ボーマン船長は本当に真空の宇宙を生きのびられるのかって問題だ。実際、NASAのホームページにも、人間がどれくらい真空に耐えられるのかについて答えるページがあって、そこにはこの疑問が、映画『2001年宇宙の旅』によって喚起されたものだと書いてある。 

 プール副長を救出するため、スペースポッドで船外に出たボーマンは、HALに締め出しを食らってしまう。そこで彼は、ポッドのハッチを爆破し、一気にエアロックに飛び込むことでディスカバリー号内に戻る。
 問題はこの時、彼は宇宙服のヘルメットを持っておらず、短時間ではあるけれど真空にさらされたことだ。
 NASAは、人は真空に長くとも1〜2分さらされれば、死んでしまうと答えている。ただし、どこまで持つかは、正確にはわかっていない。
 1965年にNASAの有人宇宙船センター(現、ジョンソン宇宙センター)で、真空チャンバーの中にいる宇宙飛行士の宇宙服から、空気漏れが起きる事故があったという。
 このとき、宇宙飛行士は1psi =0.068気圧未満の環境にさらされ、14秒後に意識を失った。15秒後にチャンバーは加圧され、飛行士は一命を取り留めたんだけど、この気絶する寸前に宇宙飛行士が感じたのは、舌の上で沸騰する唾液の感触だったそうだ。 

 映画では、ボーマンがポッドのハッチを爆破して飛び出してから、ディスカバリーのエアロックのレバーを引くまでが約7秒、扉が閉まって空気が入り始めるまで13秒くらいかかっている。この時間は、上述の事故からすると、凄く良いセンいってる感じだ。 

 ところで、真空にさらされた人体に何が起きるかという問題で昔からよく話題になったのは、真空中では血液が瞬時に沸騰するのではないかとか、身体がフーセンのように膨張、破裂するんじゃないか、あるいは、超低温で瞬間的に凍りつくんじゃないか、なんてことだった。でも、これらはどれも、基本的には起きないんだよね。
 たとえば、日の当たらない真空の宇宙は確かに非常に涼しい(マイナス百数十度くらい)けれど、真空中は放射冷却しかしないので、冷えるには時間がかかるだろう。
 また、血液も沸騰はしない。なぜなら、体温を37度Cとして、そのときの水の蒸気圧は47mmHgだからだ。つまり、気圧がこれ以下なら水は沸騰するけど、血液の場合は血圧(正常血圧の人で拡張期85mmHg、収縮期130mmHg)がかかっているから沸騰しようがないのだ。
 また、体がフーセンのように破裂することもない。なぜなら、皮膚はかなり丈夫だし、それほど大きな力もかからないからだ。
 真空にさらされたとき、何が体を膨らませようとするのかというと、それは呼吸していた空気じゃない。肺と消化管などに多少空気はあるけど、肺の空気は吐き出さればなくなるし、消化管のガスはさほど多くないから、ほとんど無視できる。すると残るのは、血液などの体液が沸騰して気体になったときの圧力しかない。それは結局、体液の蒸気圧と真空との圧力差だから、47mmHgでしかない。 だから、真空に投げ出されたとき、すぐに体が破裂する心配はないわけだ。 

 これらの問題より深刻なのは、果たして真空中で、どれくらいの間、意識が保てるかということだ。
 炭坑などのガス突出で、酸素が全く含まれていないガスを吸い込むと、ほとんど瞬間的に意識を失う。人間の呼吸は、通常は一回あたり、肺の容量の3分の1くらいしか換気しないんだけど、無酸素の気体を吸い込むと反射的に深い呼吸をして、肺の内部を完全に換気してしまう。すると直ちに無酸素の血液が脳に達して、昏倒してしまうのだ。
 NASAの宇宙飛行士が14秒で昏倒したのは、これと同じことが起きたのだろう。 

 ただ、呼吸の反射は、意志によって押さえ込むことができる。ボーマンは、これから真空中に飛び出す覚悟があったから、この点はもっと時間をのばせたかも知れない。また、ボーマンの場合は、スペースポッド内部の空気とともに飛び出しているから、彼をとりまく空間が完全に真空になるまで、多少ではあるけど時間的な余裕ができたかもしれない。 

 では、ボーマンはあれで本当に助かるのだろうか?
 残念ながら、それはちょっと難しいかもしれない。なぜなら、ボーマンは一つ、重大なミスを犯しているからだ。
 彼は、ポッドの扉を爆破する寸前に、目をしっかり閉じ、息をぐっとこらえている。これからしばらく真空にさらされるのだから、たぶん、できるだけ息をためておきたいと思ったのだろう。
 でも、1気圧から0気圧へ、息を止めたまま出ていく事は自殺行為に近い。これはダイビングでは禁忌なのだ。
 ダイビングの場合、たとえば深度10メートルのところで、レギュレーターで空気を呼吸していたとする。このとき、肺に入ってくる空気の圧力は2気圧だ。で、その状態で、海上まで息を止めたまま浮上すると、肺の中は2気圧、外界は1気圧になる。その結果、何が起きるかというと、肺が破裂するのだ。
 これはエア・エンボリズムといって、ダイビング事故の中でも、死亡率が非常に高い事故だ。このエンボを防ぐために、急速に浮上しなければならないときは、「うー」とか長く声を出して息を吐き続けながら浮上する。
 ちなみに、これは素潜りには当てはまらない。素潜りでは、100メートル以上潜る人がいて、そのとき、肺の中の空気は圧縮されて10気圧にもなっている。でも、その状態から息を止めたまま浮上しても、肺はもとの体積にもどるだけだから、破裂することはない。 

 ボーマンが息を止めていたとすると、肺にはもろに1気圧の圧力がかかる。そうなると、彼が無事でいられる可能性はかなり低い。
 ただし、スペースポッド内部の気圧が、1気圧ではなかった可能性もある。
 スペースポッドの内部気圧は、たぶん宇宙服の内部気圧と同じだろうが、現実のアメリカの宇宙服の内部気圧は0.27気圧なのだ。
 何故こんなに低い値なのかというと、1気圧では、宇宙服がパンパンに膨らんで、かなり力のある人でも、手を握ることも、腕を曲げることもできなくなるからだ。
 もし、ボーマンがあのとき呼吸していた空気が、0.27気圧だったとしたら、息を止めていても何とか肺の破裂は免れたかもしれない。(ダイビングでは3メートルからの浮上でも、息を止めては危険というから、何ともいえないが) 

 まあ、理想をいうなら、速くて浅い息をくり返すハイパーベンチレーションをやって、血液にたくさん酸素を溶かし込んでから、息を吐きつつ真空に飛び出すのが、最も長く意識を保つことができるんじゃないかと思う。 と、いうわけで、みんなも、真空中に飛び出すときは、こういう事を心がけるといいと思うよ。 

 うーん、なんだか人は真空にどれくらい耐えられるかという話だけでずいぶん長くなってしまったけれど、今回はここまで。次回は、2001年に登場しながら、現実にはまだ達成できていない技術についてお話ししよう。