*3人の王
マタイの福音には東方の博士(賢者、magi)達とあり人数は不明。
ペルシャの祭祀階級?当時の支配層はパルチィア人
*イエス生誕年
デオニシウスが暦の変換作業時にアウグストウス帝の在位BC31〜14年の内オクタビアヌス時代31〜28年の4年間を過少にカウント、オマケに紀元0年を忘れたためBC6の生誕である筈。
天文学ベツレヘムの星=木星の当時の配置)推定でBC6年4月17日にイエス生誕。
マタイ福音に羊飼いは夜通して屋外にて羊の番をした旨の記述から季節は4月から9月の間。

ペルシャ→バビロン→アレッポエルサレムユダヤ王として産まれた新生児を探すが、ヘロデ王と面談ユダヤの新王の所在通知を約束)→ベツレヘム
BC6年12月19日に東方の博士ベツレヘムに到着。聖家族に黄金と乳香と没薬をプレゼント。
夢判断からヘロデとの約束を果たさずに帰国。

ケルン大聖堂バルサザール、カスパル、メルキオールの頭蓋骨があるが4世紀の聖遺物収集家のヘレナがユダヤ人に騙されて購入した贋物(添付の織物が2、3世紀シリア産で染料がムサキガイ仕様のフェニキア産の特徴、東方の博士は無事帰国している)なのは確実で、この(頭蓋骨)縫合線から老年、中年、青年と3博士の年齢層を推定したということか?

エスは聖王(救世主、生贄)として産まれたのは確か。なぜなら、東方の博士はユダヤ新王を人づてに探すしかなかったので、聖家族だけでなく近隣の人々も聖王誕生を確信していなければ発見不可能だからです。

ガリラヤ出身なのにダビデの子孫だからとシリア総督戸籍調査の年にベツレヘムに赴いて登記手続きをして出生地を詐称、更にモーセのエジプト受難劇も盛り込んだこの話自体が疑わしいのだが、創作話でも根拠付けに占星術まで動員して躍起になるところはアッパレ見上げたものです。

マタイ(福音)派は如何してもミトラ・ゾロアスター・マニの影響によりインスパイアされたイエス=救世主伝説の痕跡を後世に残したかった様だ。
実は12月25日のミトラ生誕日の正当性を遠まわしに援護しているのだろうか?