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あのなぁ、あたしの実体験だよ。アメリカ軍は爆撃の前に『次は、ここを爆撃する」と予告のビラを空中から撒いていた。そのとおりに、路地一つ挟んできれいに日本は焼かれた。皇居も爆撃はされていたのは、知っているね。
『下町を爆撃した理由』は、日本には街中に町工場というのがあって、工場地帯と民間住居地帯とが混在しているから、軍需工場を焼くには下町を焼くしかないってのが、カーチス・ルメイの論理だ。この下町を焼夷弾で焼き尽くし、数十万人を殺したルメイに勲一等という日本の勲章を授けたのが、長州出身の佐藤栄作総理だ、やっぱ長州はダメだよ。かわりに、栄作はノーベル平和賞をもらったのだよ。なお、ナチス・ドイツは来るべき第二次大戦に備えて、軍需工場を守りやすいところに集中して建築したのだが、特にイギリスの爆撃はドレスデンにおいて、一般非戦闘員民間人を焼き殺した。工場と民家を分けても意味はなかったのさ。
あぁ米軍の爆撃予告ビラはみな憲兵とか警察によって、回収された。しかも、汚ねぇことに回収した奴らは、爆撃予告地の外に家族ともども逃げたんだ。そして、一般人は消火のために爆撃予告地にとどまることを強制されたのだ。日本人が日本人を殺したのだ。米軍捕虜収容所も安全だったな。空襲もここの近くに逃げれば安全だったが…そうはさせなんだのだよ、日本人が邪魔した。弁軍機の機銃掃射は、汽車機関車は狙っていたな。しかし、米軍は発変電所、ダム、トンネル、上水道施設、刑務所等は爆撃しなかったと思う。これも占領した後のことを考えておったのだろうよ。

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大戦中に爆撃前に伝単(宣伝ビラ)が撒かれたことはあります。
ですが仮に内容を信じても当時の時勢からして敵からの情報を信じて退避するというのはなかなか難しいものがあったようです。
参考URLでは東京大空襲でも予告の伝単が航空機から撒かれたものの、「防空法8条ノ3には、住民の退去の禁止・制限が定められて」いたこと、「市民に対しては、非科学的な精神主義によって、その場に踏みとどまり焼夷弾を消すことが鼓舞されていた」ことで市民の退避が思うに任せず大きな被害が出たことが書かれています。
ちょっとうろ覚えで申し訳ないのですが、原爆の投下については事前に予告の伝単を見たという主張と、伝単は見たが事後の宣伝だったとする主張があってはっきりはしていなかったように思います。
ちなみに、原爆の投下目標選定の初期に開発者から「ロスアラモスの実験に日本人を招待する」「人の上に落とす必要はなく、東京湾に投下して日本の為政者に見せれば十分」などの案も出ていますがどちらも早期に却下されています。

<追記>
長崎のですが、見つかりました。
2個目のURLで下から4個目の枠にある「宣伝単」のところに論争についての記載がありました。
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2004/kikaku/index.html