198.10
ヘラート暴動:1979年3月にヘラートで行われた政府の識字教育キャンペーンの際に育児の多忙を理由に参加しなかったある主婦を政府職員が強制的に参加させたことへの抗議から起きた大規模暴動。政府はヘラートの支配権を失い、政府職員、ソ連の顧問、彼らの家族は「女性に字を教えようとした」見返りに怒った市民から拷問の後、惨殺された。
その後のソ連軍の支援を受けた政府軍の攻撃でヘラート市街の大半は瓦礫の山となり推定2万人の市民が犠牲になった。
このとき軍を脱走し反政府兵士を束ねた元士官が後にヘラートの軍閥イスマイル・ハーン

アフガン戦の被害:ソ連35000人、アフガン150万人死亡。

パンジシールの獅子=イスラーム協会のアハマド・シャー・マスードは3000人足らずで、パンジシール渓谷へのソ連軍の度重なる攻勢を撃退し、1990年代にはタリバンの攻勢を退けた。

http://home.hiroshima-u.ac.jp/hipec/ja/products/RP2.pdf#search=%221997%E5%B9%B4%E3%83%98%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E6%9A%B4%E5%8B%95%22

1815年タンボラ山の噴火で翌年1816年には夏が無かった。イエローストーン公園地下には60万年に一度噴火する超ど級の粘性の高いマグマだまりがあり噴火すると数年は夏が無い、前回噴火は64万年前。

人間魚雷の「回天」はウルシー環礁で給油艦ミシシネワを奇襲撃沈したのが最初、最後は駆逐艦アンダーヒルの累計「2隻」の戦果のみだが900余名は出撃して帰還せず。