ハウルの動く城 [DVD]

ハウルの動く城 [DVD]

ハウルの動く城:酷評される程そんなに悪くないのだが、ターゲットが「乙女」なのか?↓
ー以下完全引用ー
http://cinema.intercritique.com/comment.cgi?u=1626&mid=15209
この世には「乙女」と言う人種がいる。「少女」は十代限定の表現だけど、この場合の乙女には年齢制限はありません。「乙女」の真逆は、たぶん、「ガチンコ」だと思う。私とりこは比較的、かなり乙女な体質ではありませんが、女と生まれた以上は、理解せずにはいられません。

乙女の萌えツボ:■道端で、ちょっと不良な男たちに「ようようネエちゃんちょっと付き合ってよ」と、からまれたときに、颯爽と助けてくれる。助けてくれた人はこれまたすぐにさっぱりと消える。■料理を手際よく手伝ってくれる。■謎めいた醜い姿をしていて、「影」がある。■かと言って、だらしないところも子供っぽいところもあって、スカシまくっているわけではない隙を、自分「だけ」には見せてくれて、「しょうがないわねえ」と、面倒を見させてくれる。■自分が眠っている時の本当の姿を、彼だけが知っていて、そっと寝顔を見守ってくれる。■「お守りだ」と言って、手ずから指輪をはめてくれる。■乗り物に乗って突然現れて、ふわりと抱き上げてさらって行ってくれる。■あっという間にきれいなインテリアをそろえてくれる。■きれいな世界に連れて行って、自分を安全なところに閉じ込めようとするけれども、「一緒に闘いたい!」と駄々をこねる。■ダメなところ、醜いところも含めて相手を「好き」だと思う。

まだあったら追加しますです。

追加:私の知人ではかなり乙女度の高い女性(25才:原作既読)の感想は、「獣人化からプリティーなお尻まで、全てが萌えで興奮して内容がさっぱり頭に入りませんでした。次回はもう少し落ち着いてじっくり見てみようと思います!」でした。やっぱり本物は見るところが違いますね。

彼女からの追加。■出会いしなから耳元に囁きかけてくる。
ー以上引用終わりー

宮崎さんならいつかやると思っていたが、女の「三相一体」=乙女、母、老婆(あるいは創造者、守護者、破壊者)を始めて主人公1人で表現した作品。

http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20050826202.html
途中略ー
 しかし、私も日本の社会の仕組みを知るにつれ、この国で洗練された健康によい製品が至る所で販売されているのは消費者がそれを望んでいるからだ、という単純な話でもないような気がしてきた。闇カルテルや自由競争を抑止する商習慣、ヤクザの関与、政府の規制という話も耳にしているからだ。そんなことを感じていたとき、私は偶然、経済学者、ジョン・ケネス・ガルブレイス氏の考えを知った。ガルブレイス氏は、1966年に英BBC放送の講演番組『リース・レクチャー』で以下のように語っている。

 「近代の産業社会、あるいはその中でも大企業によって構成されている部分は、本質的に計画経済だ。これはつまり、生産に関する決定は、市場に現れる消費者からの需要に反応してではなく、生産者の意向によって下されるという意味だ。こうした決定は、製品の市場価格に反映され、その価格で販売されるものを人々に確実に買わせるためのさらなる対策が取られる。この際に、究極の影響力を行使するのが権力だ」

 では、消費者は自分が欲しいもの(たとえば、エルビスのレコード)を買うことで草の根革命(たとえば、ロックンロール・ブーム)も起こせると主張するマキャフリイ氏が正しいのか? それとも、選択の自由などというのはほとんど幻想で、生産者、流通業者、小売業者、広告業者、権力者の意のままに操られていると言うガルブレイス氏が正しいのか?(私が思うに、1950年代の「権力者」は、消費者にレースミュージック[1920〜30年代のブルースをベースとした黒人音楽]よりはエルビスのレコードを聴かせたかったのではないだろうか。もっとも、保守派の人間はパット・ブーンの擁護に回ったというのが通説になっているが)

 先日、ミュージシャンのデイヴィッド・バーン氏のブログで音楽業界の裏金の話題が取り上げられているのを読んだのがきっかけで、私は資本主義社会の仕組みを述べた相反する2つの意見について、また考えることになった。

 バーン氏はブログの中で、自身が在籍していたバンド『トーキング・へッズ』の曲、『バーニング・ダウン・ザ・ハウス』のヒットの影で裏取引があったことを知った経緯を綴っている。ライブでこの曲を演奏すると客が大喜びしたのは、単にそれがラジオで流れていたからで、ラジオで曲が流れたのは、現金にコカインや女性といった賄賂が「こっそりと」放送局に渡されていたからだったという。

 バーン氏はこう書いている。「10代の頃からずっとラジオで聞き、感動してきたポップソングはどれも、裏金と引き替えに流されていたものだったのだろうか、と私は考えた。ああ、なんてことだ! ということは、当時の数少ない独立系のラジオ局以外では、私も『パブロフの犬』扱いされていたというわけだ――私は自分の耳でいい曲を見つけ、夢中になったと思っていたのだが、実はそれも、何も知らない私の脳にある種の音をたたき込むために調整されたプログラムがあってのことだった。私はすっかり操られていたのだ! 私が自分の意志で曲を好きになり、こんなものを好きになるのは自分だけだと思っていたが、そんな感情も、私の想像を超えた薄汚い連中によってこの頭に植え付けられていたとは」

 これはどうやら、ガルブレイス氏の勝ちのようだ。