http://www.asahi-net.or.jp/~bh3h-smjy/zuiso/nikki/index.htm
↓無断転載
 フランスでフィガロだったはずの新聞を創刊したなんとかいう人が方針を確立した話を読んだような気がする。うろおぼえでごめんなさい。それは、「本紙はすべての一般大衆に読んでもらうつもりだが、すべての一般大衆にターゲットを定めた記事はいらない」というものだったんじゃないかと。またうろおぼえでごめんなさい。つまりですね、まあ、当時のフランスの大衆をですね、ま、仮想的に五人くらいの読者で代表させるとすると、王党派の五十歳退役軍人、民主派の三十歳大卒の官僚(パリ在住)、いなかぐらしの子持ちの農婦(政治に興味なし)、社交界に憧れる小金持ち商人の娘、敬虔なカトリック神父、こんな感じかな。で、この五人を一つの記事でいっしょに喜ばせることは不可能である、と。つまり元軍人が喜ぶような記事には民主派は反発する。社交界の噂を書くと娘は喜ぶが神父は憤慨する、という具合で。で、みんなを怒らせないようにしようとすると、こんどは誰も面白がってくれないつまらない記事になってしまう(いまの日本の新聞のように)、というわけです。だからフィガロは、保守的な社説の横には過激な協和論を、ファッションページの次には信仰を深めるようなエッセイを、オカルト記事の次にはじゃがいもの料理法を、という具合に、刺激的かつ特色ある記事をバラエティ豊かにならべるという方針をとったのですね。こうすれば読者は、自分が読みたい二つの記事のために二つの嫌いなニュースと四つの興味ない原稿は許してくれる、と。