ケルン大聖堂の「聖遺物巡回」の目玉であった「ペトロの鎖」は1年間で最高10000マルク(当時の1マルクは職人の週休)を稼ぎ出す。ケッツァライ(マルティン・ルター)による聖遺物信仰の非難が始ると巡礼者が途絶える。1559年の大聖堂への献金収入額は0で、聖遺物巡回の上りは僅か「1マルク強」